★五島列島 上五島のパワースポット★

 

さぁ、五島列島の旅、残すはあと2日。


5日目の天気予報は、嵐ですぅぅ~。台風


カーテンを開けると、横殴りの雨と風。
台風の直前の天気って感じだわ・・・。

港街にあるステレオから
船の欠航のお知らせが流れてきてる。

よかったよぉ~。渡っておいて。(笑)


さて、今日は、朝8時に
ホテルマリンピアまで、有川店のトヨタレンタカーの車がお迎え。

頭ヶ島天主堂は、
時間を朝9時に予約変更したの。

教会なら、雨でもめぐれるもんね~。ニコニコ


2月19日


中通島(上五島)

トヨタレンタカリース長崎有川店  0959-53-0100 ホテルに8時お迎え(事前予約)

2月19日(有川店)8:00貸出~2月20日(奈良尾店)15:00返却 


頭ヶ島天主堂 上五島空港からシャトルバス 9:00(事前予約)


宿 えび屋  0959-46-3120 

・・・ってわけで、

今日は、教会巡り~~。音譜


事前予約した、 頭ヶ島天主堂にいきまーす。 チョキ


地図はこちら

マイカー規制があるので

今は使われていない上五島空港で

シャトルバスに乗り換えるのです。合格


上五島空港の地図はこちら


 空港に来ればカウンターがあるから
バスの時間まで室内でまっていられるよ。


ここでは、頭ヶ島天主堂については、もちろん・・・

上五島の教会について
潜伏キリシタンについて
 
頭ヶ島に移住した潜伏キリシタン
頭ヶ島北部白浜海岸へと移住した潜伏キリシタンは、海岸背後から山域にかけての斜面に石積技術を駆使して耕作地を開拓し、イモ作を主体とする、農業を営んだ。
さらに、時間の経過とともに、南海岸の田尻地区や西海岸の浜泊地区など島内の他地域にも移住し、集落や農地を展開していった。
彼らは、表向きは中通島に所在する仏教寺院に属して仏教徒を装う一方、潜伏キリシタンの指導者を中心としてひそかに自らの信仰を続けた。
潜伏キリシタンからカトリックへの復帰
1865年に大浦天主堂での宣教師と潜伏キリシタンが出会った「信徒発見」をきっかけに、各地の潜伏キリシタンがひそかに大浦天主堂の宣教師と接触を開始した。
上五島の潜伏キリシタンの指導者たちもひそかに接触し、長く隠し続けてきた自らの信仰を告白するととも
に、宣教師の上五島派遣を要請した。
そして宣教師の到来により、頭ヶ島の潜伏キリシタンもカトリックへと復帰した。

1867年には外海地域で「水方」を務めた人物を実父とし、上五島地域の潜伏キリシタンの頭目であったドミンゴ森松次郎が頭ヶ島へと移住した。
彼は島内の白浜に居を構えて「仮の聖堂」とした後、大浦天主堂から宣教師を迎えた。
そして信徒は1887年、「仮の聖堂」近くに木造教会堂を建て、1914年まで使用した。
それは、「頭ヶ島集落」における潜伏キリシタンの信仰継続にかかわる伝統が終わりを迎えたことを象徴している。
1919年には松次郎の「仮の聖堂」が存在した場所に10年の歳月をかけて現在の頭ヶ島天主堂が建てられた。
天主堂の建設には信徒自らも加わり、建築資材には近くで産出する砂岩が用いられた。
白浜集落の海岸近くにはカトリックに復帰した人々の墓地が形成されている。
世界遺産について
もろもろお勉強できます~。ひらめき電球
 

さっ、バスの時間。バスの時間。
こんな天気だからかな?私一人だ・・・。(笑)

『こんにちは~。うり坊

バスの運転手さんが話しかけてくれる。
しゃべりながらのご案内。(笑)

本当に五島の島の人たちは、
人に慣れてて柔らかいというか、すぐ話しかけてくれる。
どこにいっても。

世界遺産になったといっても
そんなに、観光客が多い島ではないのにね。

沖縄の人達のきさくな感じとも、ちょっとちがうんだ~。

もっとナチュラルというか・・・
自然体でやわらかい感じかな。
『ここから写真撮っておいたほうがいいですよ。
全体がみえるから。うり坊

あっ、ほんとだ。
山深いわぁ~。

教会部分しか建物がなーい。(笑)
ぎゃあぁっ、風、強~。台風

雨がやんでラッキー。
これじゃ、傘吹っ飛んじゃうよ~。(笑)あせる

シャトルバスを降りたら、1分ほど歩くと、教会。
やっぱり海沿いなんだね。

キリシタンのお墓や遺跡跡もある。

白浜遺跡
この砂丘は「昭和42年4月砂採取作業中人骨20体が発掘された」と聞き、昭和42年7月19日調査確認された遺跡である。
調査時、成人(女)と幼児2体の縄文人骨が出土し、その後、打製,磨製の石斧や石さじ等石器及び曽畑式·轟式,並木式、阿高式,南福寺式·富江式の土器片(縄文前中期以降)が出土し、縄文前期(約6000年前) ~晩期(2500年前)の3500年間程の縄文人が居住し、なお、古墳時代の遺物,須恵器も出土している。

なんとっ!縄文時代から
ここに人が住んでいたのね~。ひらめき電球
わぁ、周辺も整えられてて綺麗だよぉ~。キラキラ

マイカー規制があるくらいだもんね。
教会って、花や木々がきれいで素敵。
 
神社って、こういった
小さな花たちが植えられている所少ないけど
(梅とか、櫻とか、椿とか、木のイメージ)

教会は、野花が似あう。
かわいらしいね。ラブラブ

『こんにちは~宇宙人

『あっ、こんにちは。ねこへび

インフォメーションセンターの方は、若い女性の方だっ音譜


にゃぁっ、なんともおもちゃみたいで可愛らしい教会。ラブラブ!

シックすぎず、丸みがいい感じ。ラブラブ

教会って、石で造るの大変だと思うけど、
木の教会より長持ちしそうよね。
頭ヶ島教会堂は明治43年(1910)、大崎八重神父の発注により着工されたといい、2度の中断をはさみ、約10年の期間を経て大正8年(1919)完成しました。
設計は多くの教会建築を手がけた鉄川與助で、周辺より産出される砂岩が使われた石造りの教会堂です。
砂岩というと軟らかそうなイメージがありますが、教会堂の砂岩は意外と硬く、風化が少なく質が高いものです。
石壁の積み上げや加工にあたっては長崎や地元の石工が関わり、運搬や石積みには地元信徒も参加しました。
教会堂の壁面は砂岩の切石を水平に積み上げますが、表面を人工的に粗くしたルスティカ(粗石積)といい、目地まわりが意匠的に深く掘り込むように整形されているため、深い陰影が生まれ、より力強く、整然として見えます。
 
鉄川與助が好んで用いたといわれる八角形平面のドーム屋根をのせた塔屋。
最初の計画では塔はなかったようで,完成間際に塔屋を設けました。
そのため、窓の位置の取り合いや、帯飾りの食い違いなどに無理があることがわかります
では、中にはいります~。 ねこへび 宇宙人
あらぁ、中は随分ラブリーだよ~。

水色の枠、ピンクの模様、
女性っぽい可愛らしい造り。

天井には、白い花、椿かな?
 
『十字架って、花びら4枚に例えられているんですよ。ねこへび

あぁ、確かに。確かに。
お花って、そうも描けるね。


『今ランプ、ついてないですね~。
神様いないんだ・・・。宇宙人
 
ランプは右側にあって
ここは、普通の部屋のライトみたいな形してる。
 
『あっっ!!!
ねぇねぇねぇ、お姉さんって、キリスト教ですか??宇宙人

『えっ、あ・・・、はい??笑ねこへび

『あぁ~うれしい。よかった。
私キリスト教の方と話したかったの~。
でもなかなかあえなくて。

ねぇねぇ、教えて教えて。いろいろ。宇宙人

『はははは~。ねこへび
 

なぜ笑う?


『ご聖体っていうのは何なの??宇宙人
 
『パンなんです。
ミサ中にくばられるんですけど、
薄いお煎餅という感じの白いパンです。小さいですよ。
 
キリストと共にいるという意味があるんです。ねこへび

『ねぇねぇ、キリスト教といったら、神様は誰なの??
やっぱりキリスト様?なの??
それともマリア様なの??
それともまた、違う何かなの??宇宙人


念願のキリスト教の方。
止まらなにゃいぃ~。

なぜなぜ攻撃である。

 
 『えぇぇ~?!(笑)

ん~、どうなんでしょうねぇ。
深く考えてないですけど・・・でもお祈りは、キリスト様にしますね・・・
改めて言われるとちょっと分からないですけど
キリスト様でいいんじゃないですかね。ねこへび
 

ほへぇぇえぇ。

私のこの旅中学んだ認識では
神様が肉体を人間に貸して、出てこられたのがキリスト様
お腹をかしたのが、マリア様
育ての父が、ヨゼフ様。という感じ。

どこに手をあわせて、
意識を合わせているのか知りたかったのだ。ひらめき電球


・・・っというわけで

気になって、
帰ってから調べてみたらね~

キリスト教、イスラム教も、ユダヤ教も
神様の名前は「ヤハウェ」というらしいの。

ただ、イエス・キリストは預言者&救世主。
だから、個人崇拝を基本としているとか。

ちなみに、イスラム教って、
神様は「アラー」ってイメージだったんだけど
アラーは、神様という意味で、ゴッドと同じ。

名前じゃなかったのね。
知らなかったわぁ・・・。

勉強。勉強。(笑)


 
『ねぇ、教会の二階はなにするの~??宇宙人

『二階は、聖歌隊が
賛美曲、聖歌、賛美歌を歌うところです。ねこへび
 

左手には、大きな箱のような形の部屋?がある。

『これは、告解部屋(こっかいべや)です。
ゆるしの秘跡といって
神父さんは反対側に立って
中には、ひざまづき台があるんですけど
私たちは跪いて、自分の罪を懺悔して、きいていただいて
神父さんは、お祈りの言葉をいってくださるんです。ねこへび

ほへぇ。
 
そういえば、神社やお寺に懺悔・・・
ってない気がするね。


ん?

あっ、いやいや!!
仏教はあったわ。

日蓮宗であった!!

懺悔のお守り、あったっ!!

神社は、感謝だからか、ないね~。キラキラ
さてっ、外に出ると、マリア様がおられるよ~。

こんなに可愛い教会だけど
ここも、弾圧があったところなのよね。
 
頭ヶ島伝導士養成所跡
慶応3年(1867) 4月、ドミンゴ森松次郎はこの地に聖堂を兼ねた伝導士養成所を落成させ、クゼン師を迎えて開設した。
当時の島の人口16戸130人。
五島各地選抜の人材がここに集まり、伝導士養成の教育をうけた。
しかし、明治元年(1868)末には迫害が起り、一時監禁所となる。
その後、同20年( 1887)に木造、大正8年(1919)4月には現聖堂が落成し今日に至る。


さてっ、30分の時間はアッという間。
いろいろ話せてよかった~。

ありがとう~~っ。ねこへび宇宙人音譜


というわけで
また再び、シャトルバスにのって、上五島空港の駐車場へ。

『どうでした~??うり坊

『可愛い教会だったよ~。
初めて、キリスト教の人にあえた。よかった~。宇宙人

『あはははは~。うり坊


ペラペラしゃべり
運転手さんともバイバイ。


つぎは~どこいこうかな。

パンフレットを開く。
上五島のパンフレットも立派なのよね。

ガイドブックとか必要ない。(笑)


あっ、そうだそうだ。
ここも大きい教会だからいってみたかったんだ。

・・・ってことで
青砂ヶ浦天主堂へレッツゴーッ。車
青砂ヶ浦天主堂

住所
長崎県南松浦郡新上五島町奈摩郷1241





青砂ヶ浦天主堂国指定重要文化財(平成13年11月14日)
青砂ヶ浦天主堂は、奈摩湾の中腹を見下ろすように、正面を西に向けて建っている。
設計施工は長崎県下に数多くの教会建築を残した郷土出身の鉄川与助による明治43年(1910年)8月に竣功し、同年10月献堂式が行われた。
煉瓦造の重層屋根構造である。
重層の断面形式をそのままに現す正面は、煉瓦による帯状装飾によって3分割し、薔薇窓や縦長アーチ窓によって飾られ、正面入口には台座と植物模様の柱頭飾を有する円柱で支えられた石造りアーチを持つ。内部は3廊式で主廊部側廊部ともに漆喰仕上げ4分割リブ·ヴォールト(コウモリ)天井、アーチは全てポインテットアーチで造られている。
外観内部とも全体に均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れている。
日本人設計者の手で建設された煉瓦造教会堂の初期のもので、かつ本格的教会堂建築の基本である重層屋根構造にもとづく外観や内部空間が形成されるようになった初めての例で、この後県内の離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点となった。
青砂ヶ浦天主堂

煉瓦造り、シックですてき~。ニコニコ

明治末期、教会建築は、材質も木材からレンガ造りとかわっていくんだって。
ここは、地元上五島の頭ヶ島付近の採石場で採られた五島石と
木材は、野崎島から運ばれて使われたそうだよ。

海がみえる高台にある教会。
そうそう、教会って、海にむいて建てられている所が多いです。キラキラ
 

あっ、マリア様だ。
こんにちは~。

くるくる~ふわぁ~ん

平和を象徴するような、白い姿のマリアさま。
綺麗で柔らかい、包容力のある優しい波動。キラキラ

にゃぁ~ん。ラブラブ


ではっ、中へ。足あと



わぁ、シックです。中も・・・。


リブ・ヴォールトの天井
主祭壇や柱はこげ茶色で、周囲はホワイト

渋くて・・・落ち着いた美しさがある。
色合いや雰囲気は、お屋敷みたいな感じかな~。

西洋と和が調和されているのが
私はどうやら好みらしい。

ステンドグラスが緑赤青と発色が鮮やかで綺麗だよ。キラキラ

フランスから取り寄せたステンドグラスは、
黄色=大地、緑=草木、青=天 空、赤=太陽を意味しているそうで
正面高台のステンドグラス、または左右のステンドグラスも絶妙な配置がなされ、
神秘的な光が降り注ぐんだって。


おっとり、ゆるりとした気が流れてる・・・。

 
右手にいらっしゃる、
美しいマリア様。

衣装はちょっとエキソジック、
抱っこしてるのはキリストの赤ちゃんの姿。

反対側は、羽が生えて、剣を持って指を天にさしてる
聖ミカエル像。


うんうん、この二つの教会は
いいねいいねっ。音譜

上五島のおすすめの教会です。合格