★五島列島 奈留島の教会 パワースポット★
つづいては~
ど~こにいこっ。
あ、でも、そろそろ
※江上天主堂 の予約の時間・・・。
※長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターの事前予約が必要な教会堂。
ちょっと早いけど、向かちゃおっかな~。
街中を車で通過…と思ったら、
やだ!一本間違えちゃった。
・・・って!
へ?!?!
奈留教会の駐車場前についちゃった。
あはは
これは、よらなきゃ・・・ということですね~。(笑)
・・・ってなわけで
奈留教会へいきまーすっ
住所
長崎県五島市奈留町浦395
地図はこちら
街中の高台にたつ、白い教会。
今まで巡った教会って
ほとんど海沿いだったから、珍しい感じがしちゃう。
奈留教会
大村藩からの移住者の子孫ら
移住の先駆者、葛島の信者全員が統合される
江戸時代末期、大村藩(現在の長崎市外海方面)から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。
1868年(明治元)の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問をうけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。
1873年(明治6)に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられていきましたが、そのころの奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかありませんでした。
信徒たちは船でいずれかの教会堂に通うか、宿輪、水の浦、汐池集落の民家で行われていたミサに与っていた。
最初の奈留教会は、建設資金の大部分を宿輪集落の約20戸の信徒たちが負担し、上五島の青方の大工に依頼して、1926年(大正15)現在地に完成しました。
その後拡張工事もおこなわれましたが、1959年(昭和34)、台風時 持ちこたえることができないとの判断がなされ、信徒の手で解体されました。
現教会は1961年(昭和36)に建設着工し、同年12月14日に祝別、献堂されました。
奈留教会史に残るできごとのひとつは、1973年(昭和48)3月に葛島の島民が集団で樫木山地区へ移転し、信徒の全員が奈留教会の所属になったことです。
離島のさらに離島である葛島での生活の維持が困難になったためでした。
葛島は奈留島地区のなかで大村藩の潜伏キリシタンの移住がもっとも早くおこなわれ、百数十年間にわたり熱心な信仰の歴史が刻まれた島ですが、この集団移転により、葛島教会は廃堂となりました。
現在,奈留教会の信徒たちは、高齢化が進む島内の江上天主堂,開堂した南越教会堂の信徒らと共に,教会堂の維持管理を行い、その大切な信仰を守り続けている。
マリアさま~~っ。
マリアさまの表情って、
なんともいえない、美しさと優しさを、持ち合わせておられるね。
早速、教会の中へ~。
白を基調とした壁は、明るくいい雰囲気。
祭壇も、白い大理石のようだよ。
三角屋根のおうちのような天井
赤、青、黄、水色、の四角が組み合わさるステンドグラスもかわいらしい~。
親しみが湧いちゃう、心が優しくあったかくなるエネルギーで、
この教会、とてもシンプルな造りなんだけど、私、すき。
母というイメージで、
崇高な気もあり、やわらかさもあると
さっ、道の狭さでいったら、久賀島がダントツだけど
奈留島も、なかなかのもの。
とくに
小さい車でよかったわん。
つづいては~
事前予約をした、世界遺産の江上集落
江上天主堂です。
住所
長崎県五島市奈留町大串1131奈留教会によったけど
時間、ぴったり。ばっちりーーっ
中心地からは大分離れた海沿いです。
何もないところに教会だけがぽつり。
海沿いにある、山(森?)の入口に・・・
あ、あるある~教会。
『あ、下川さんですか?こんにちは~。』
『こんにちは~。』
江上天主堂
江上地区には、1881年に外海(現長崎市)から四家族が移住し、洗礼を受けたといわれている。
明治39年に現在地に教会を建設していたが、大正6年3月再建に着手し、翌7年の3月、50坪の教会が完成した。
この江上天主堂は、教会建築の父·鉄川与助氏が手掛けたもので、木造ロマネスク様式の天主堂として最も完成度が高いといわれている。
左右対称のシンプルな外観と純白に彩られた板張りの外壁がこの教会の特長である。
また、内部はアーチ形の美しい天井、木目塗りの珍しい装飾が美しく、価値の高い建築様式であり、平成14年に県の文化財に指定され、平成20年には国の重要文化財に指定されている。
江上天主堂は奈留島の西部、遠命寺トンネルを抜けた小さな湾のほとりに大きなタブの木々に守られるように凜として建っている。
それまでは信徒の家でミサが捧げられていた。
現在の天主堂は、長崎を中心に多くの教会堂建築を手掛けた鉄川与助によって設計施工が行われ1918年に完成している。
建設費は当時の金額にして、2万円といわれ、その金額は40~50戸の半農半漁の小集落である江上の人々の暮らしにとっては、大変な金額だった。
信徒たちは、自らの生活費を切り詰め、お互いに費用を出し合うことで建築のための資金を捻出した。
幸いにして、当時キビナゴ漁が活況であったこと、また信徒たち自らが率先して、敷地の造成や建築作業を手伝ったことなどから、なんとか資金をまかない、天主堂を完成させることができたといわれている。
外観は、淡いクリームにブルーの鎧戸がアクセントとなっている。
一般的な教会堂建築とは異なり、付近の湧き水による湿気を考慮し、床を高く上げ、軒裏には装飾を兼ねた通風口を設けるなど、近隣の集落内の民家とも共通する独特の意匠や構造となっている。
内部は、本格的な立面構成で三廊式、壁は白漆喰で塗られ、リブ・ヴォールト天井(こうもり天井)の美しい曲線が、人々の祈りの空間をあたたかく包んでいる。
驚くことに、柱の木目は手書きで描かれ、竹ベラで掻き落とす木目書きと呼ばれる工法でつくられている。また、窓ガラスにも、当時、ステンドグラスなどを購入する資金が足りなかったため、透明ガラスに信徒た
ちがひとつひとつ描いた桜の花模様が施されている。
現在、天主堂は、日本に定着した木造の様式的教会建築の典型的姿として、2008年(平成20)6月、国の重要文化財に指定され、世界遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の構成資産の一つにも選ばれている。
潜伏キリシタン集落としての風土的特徴と地形や在来の建築意匠、工法に基づく、カトリック教会堂としての西洋的特徴との融合がもたらした教숲堂の代表例である。
江上集落
江上天主堂とその周辺を含む「江上集落」は、奈留島の北西部の西海岸にわずかに開けた迫地形に立地し、禁教期 東松浦と西彼杵から4戸の潜伏キリシタンがその狭い谷間に入植したことが始まりとされている。
地勢に適応しながら自らのかたちで密かに信仰を続け、禁教が解けた後に教会堂を建てた集落である。
奈留島内の主な集落から離れた江上集落に移住した潜伏キリシタンは 海に近い谷間に居を構え、わずかな農地や漁業で生計を営み、自らの信仰を組織的に続けた。
解禁後、彼らはカトリック へと復帰し、湧水に恵まれ防風に優れた場所に温度や風通しに配慮した在来技術を用いて教会堂を建て、現在までその遺産と信仰を大切に受け継いでいる。
現在の江上集落は、過疎化が進み、信徒数はもうわずかとなり、静かな集落が残るのみである。
しかし、日々の生活を切り詰め懸命に建てた江上天主堂は信徒のみならず、奈留島の大切な宝の一つとして、広く島の人々の協力や不断の努力により今日も守り継がれている。
とってもかわいい。
まさに、シルバニアファミリーのような感じ。
『ここはね、山に囲まれた谷間に教会があって
雨がふると水が山から流れてくるから・・・
』
へぇ~!教会でこの造り、初めてみたかも。
『それで、あの花の形があるでしょ?
あそこが、通気口になってるんです。』
パッと目気づかないところまで、機能的!!
そして、裏手にまわってみると・・・、
森のほうは、東側。
『屋根の所、上をみてください。
建物に朝日が当たると
屋根部分にあるあの十字架のシルエットが板壁にうつって
神秘的なんですよ。』
にゃるほど~
でもね、でもね、私がきになるのは、その下、足元・・・。
これが、山から流れてくる水なのね。
『この江上天主堂は、禁教令のずっとあと、
大正に建てられたものだから、
建物としての歴史的評価は少ないけれど、
カトリックの信仰の場を守ったという遺産として
総合的な評価があるんです。』
・・・っと、インフォメーションセンターの方は
ガイドさんのように説明してくださるのは、ありがたい~。
やっぱり、わかる人がいるほうが
教会巡りはいいですね~。
早速、中に入ってみると・・・・、
外観の可愛い雰囲気から一変
随分と落ち着いた雰囲気。
リブ・ヴォールト天井、木(こげ茶)の柱、
白い壁で、スッとした無機質な感じ。
この柱が、高床式の地面と繋がり、建物をささえているんだね。
たしかに、足元の床、ぎしぎし音がするよ~。
浮いてるって感じがする。(笑)
おぉ~、そして、底冷え。
風がぬけるのか、足元が冷えて、さむさむ。
『この柱ですが、釘が使われていなく、組み合わさって支えていて
木目模様は、わざわざ手書きで描かれているんです。』
えっ?これを?!
えっと~、見た目、全く描かれたようにみえないですよ。
普通に、木目・・・です。(笑)
細部まで、手がこっている・・・。
見回してみると、
扉の入り口は桜、天井は椿がほられていて・・・
中心には、子供のキリストを、育ての父ヨセフが抱きかかえた姿
右手には、マリア
左手は宣教師のザビエル
がいらっしゃる。
『この壁にある絵、十字架の道行といいますけど、
イエスキリストの受難の14場面の絵、この一つ一つも信仰の対象なんですよ。』
なるほど・・・
って、あれ?!そういえば、ここ、ランプついてない。
『ここって、ご聖体のランプが付いてないから、神様いないんですか?
祈りって、されていないんですかね??』
『あ、江上天主堂は、月一回ミサ(祈り)が行われているんですよ。
奈留教会はね、街中ですので、毎日ミサが行われていて
通常は、毎日朝6時から、日曜は7時半~8時からやっています。』
わ、結構・・・早い・・・。
『今、江上地区には、信徒さんは2名しかいなくてですね、
この奈留島全体としたら、キリスト教徒は、10パーセントくらいになりますかね。
意外と少ないんですよ。』
そっかぁ~
この島も、10パーセントなのね。
元々、奈留島も仏教徒の島だけど
本土と同じ感覚で、お寺に毎日通うということもなく
行事のときにいく、という感じみたいで
神社にもいくそうです~。
さっ、そんなわけで
ここは、ガイドさんをつけなくても
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
インフォメーションセンター
の方が案内してくださいました。
さっ、次は~自然のパワースポットにいきたいなぁ。
・・・っと地図をみていたら
ビビッときたきたきた。
うふうふ
奈留島のパワースポットへ、いきますぞーっっ