★長崎県 五島列島 福江島の教会&パワースポット★


つっづいては~


福江島の突き出た半島の西側

井持浦教会へいきましょう~。宇宙人


住所

長崎県五島市玉之浦町玉之浦1243

0959-87-2023


地図はこちら

井持浦教会は、1897( 明治30)年に創建された、五島で最初のレンガ建築による教会堂である。

当初は側面に連続アーチからなる、ロマネスク調の吹き放ちの廊下があったが、信徒の増加により手狭となったため、1924 (大正13)年に聖堂内に取り込むように改築された。

なお、現在の聖堂は1987(昭和62)年の改装後のものである。

また同教会敷地内にあるルルドは、 1895 (明治28)年、当時の五島教区のアルベルト·ペルー神父により提唱され、2年後、日本で初めて建設されたものである。
ルルド(Lourdes)とは、南フランスのピレネー山麓にある町の名前で、1858年に、薪拾いに出かけた少女·ベルナデットが、近くの洞窟で聖母マリアに出会い,聖泉を示されたという故事に由来するカトリックの聖地で、その聖泉の水を飲んだり浴びたりした者は、病が癒されるなどの奇跡が現れるとされている。
井持浦のルルドは、五島各地から選ばれた岩石により築造され、内部には聖母マリアの像が安置されている。

傍らに掘られた井戸には、聖地ルルドの聖泉の水が混入され祝別されており、以降この地は第2のルルド霊泉地として全国各地から熱心な信徒が訪れている。

井持浦教会の道路を挟んで反対側には

玉之浦カントリーパークという、緑が多い公園があったよ~。ひらめき電球


さっ、いきましょう~~っルンルン


坂道。坂道。はぁ、はぁ。

わ、レンガ造りのように見えるけれど・・・

よく見ると、今までみた

常崎教会や楠原教会のようなレンガ造りとは違って近代的。


レンガ風・・・といえばいいのかな。(笑)


この地区、玉之浦は、キリシタンの迫害が強かった時代、

唯一ここだけ迫害から逃れることができた地域なんですって。


玉之浦は、塩の生産が財政を潤していたこと

島の中心地から遠かったことなどが理由としてあげられているそう。ひらめき電球



それではっ、教会の中へ~~。ルンルン



あ、中も、今までと違う雰囲気。


ドーム型のリブ・ヴォールト天井ではなくて、

いわゆるおうちの、△屋根の形。


教会の両サイドの窓も、ステンドグラスではなくて、

普通の曇りガラスのような感じで・・・


祭壇の上、十字架を背負うキリスト様は木材

ブルーグリーンのステンドグラスはあるけど、

教会らしい!という装飾はそんなにない。


とても素朴、ちょっとかわいらしいおうち風な教会・・・

小さな村の教会というイメージです。


エネルギーも、おっとり、落ち着いてる・・かな


あっ、教会の中、基礎知識が書いてあるよ~。ひらめき電球


これはこれは、お勉強。

こういうことがないと、知らないもの~。


みなさんも、よかったら一緒に。(笑)うへ



教会堂、天主堂、聖堂、教会

すべて、同じ意味、で祈りやミサの場所としての建物を指す。

一方、教会も建物を指す使い方もあるが、本来はキリストを信じる人々の集まりのこと。


ほへ~。教会って、建物のことかと思ってた。



聖水盤

教会堂の入口付近には聖水盤が置かれ、信徒は入堂の際、聖水に指を浸し、十字架のしるしを切る。

その意味は、受けた洗礼の事実を思いだし、その時にかわした約束の精神を心で改め、原点に帰ることにある。


あっ、あった!

聖水入ってないけど・・・。(笑)


十字架の道行

イエスキリストの受難(死刑宣告、埋葬されるまで)を14場面に分かれた絵や彫刻。

各場面を順番に黙想し祈るようになっている。


教会の中、両サイドの壁にかかっているよ~。


内陣

教会奥の、一番高くなっている場所。

祭壇がある最も神聖な空間で、聖職者以外は入れない。


仏教のお寺も内陣っていうよね。確か。


聖櫃(せいひつ)

祭壇にある聖体を安置する箱。聖体(ミサで聖別されたパン)が収められている場合は、赤いランプがついている。(聖体は、イエスキリスト自身。そのため、赤いランプはキリストがいることを示す。)


え?パン?え?

パンがイエスキリスト様なのーーー?!


・・・って、そういう考えじゃないのは分かっているけど、

え、聖櫃に入っているのパンなのー?!


ええええええ~


聖像

キリストや聖母マリア、聖ヨゼフの聖家族像のほか、各教会が教会の保護者としている特定の聖人像がある。


IHS(アイエイチエス)

ラテン語で、Iesus Hominum Salvator(イエス人間の救い主)の略。


XP(キー.ロー)

ギリシャ語で、キリストの最初の二文字


INRI(インリ)

十字架のキリストの頭の上に掲げてある看板の文字。

ラテン語 Iesus-Nazarenus Rex ludaeorum(ユダヤの王ナザレのイエス)の頭文字


AとΩ(アルファとオメガ)

新約聖書の中の一節「わたしはアルファにしてオメガである」から、キリストが世界の原理であるとの意味。



ほぉ~。


一番の驚きは、パン・・・。ですぅ。(笑)




さて、外にでて、

教会の脇に行ってみま~すっキャッキャッ

わぁあぁぁ~かおビックリマーク


ここが、五島列島のルルドの泉なんだね。



・・・っていうか


おぉっおぉっおぉっ叫び


すごい、すごい・・・ここ・・・
重厚な気に、変わるよぉ・・・。

重力を感じるような重みがある厳かな気。


奥は、鍾乳石かな?不揃いな石が積まれ、石垣が造られていて、

足元には池があり、小さな洞窟がある。


の洞窟あたりから、地の力というべきか・・・

重厚な強い力が流れてるよぉ~。


ここ、わたし的にだけど・・・

水の神と深い祈りの力も感じるよ。

(キリスト教の考えとはちがうけどね。笑)


教会自体はとても素朴だけど、

このルルドの泉の力はすごい。

 

いわゆるマリア様の優しい軽やかな気とは違うけど

水の神の力・・・というか、

原始的で厳かな気がある。

 

例えるならば・・・

古くから祈られている、沖縄の御嶽のような感じかしら。


病気が治るという話から、熱心に信仰している方がおおいんでしょうね。キラキラ

マリアさんは斜め上、先を見てる・・・

未来、明日を眺めていそうな感じ。キラキラ

ルルドの聖水の始まり

1858年2月11日 フランスのルルド地方のマッサビエールの洞窟で、少女ベルナテッタに聖母マリアが現れ、以後17回の出現があった。


2月25日(9回目の出現)

ベルナデッタは、石の手で一か所を掘り出した。

すると、小さな穴の底から泥水がにじみ出てきた。

彼女は、その泥水を手ですくって顔に近づけるが捨ててしまう。

二、三度同じ動作を繰り返した後、四度目にそれを口に入れ飲んだ。

つぎに、ほら穴の中に入っていき、ネコノメ草をつまんで食べた。

この動作をベルナデッタは次のように説明した。

「あの方が言ったのです。泉にいって水を飲んで顔を洗いなさいと。

私は水がないので、あちこち見ました。

あの方は洞窟の岩の下に行くように合図しました。

そこへ行ったら、手のひらに少しだけ取れるくらいの泥水がありました。

あまりいに汚かったので三回は捨てて四度目にやっと飲めました。

それをしたのは罪人の改心のためです。」

その日のうちからこの小さな穴から、こんこんと水が湧き出し、汲めば汲むほどきれいになっていった。

その水を持ち帰り、病気の人に飲ませると、病気が治った。

この時からルルドの聖水の軌跡が始まった。


この井持浦ルルドにも同じルルドの水を混入しています。

ルルドのマリア様への信仰をもってお飲みください。



・・・っというわけで

早速、聖なるお水、いただきます~。キラキラウキウキ


ゴクリ。



あ・・・


なんというか・・・

おいしいお水ではにゃい・・・。あせる


石灰を含むような硬質の水、鉄っぽい味がします。


でもね、神様のお水なので・・・

ありがとうございました。お辞儀

フランスのルルドの由来

1854年12月8日、教皇ピオ9世は「聖母マリアの無原罪の御宿リ」を信条として宣言した。

それから3年後、1858年2月11日、ピレネー山脈のフランス側にあるルルドの洞窟でベルナデッタという14歳の少女に、白衣に身を包み空色の帯を締め、ロザリオを右手に下げた貴婦人が現れて、そこに聖堂を建て巡礼を行うようにと告げた。

それから7月16日まで18回の出現があり、その名を尋ねると「私は無原罪の宿りです」と答えて、聖母マリアであることを明かし、洞窟の前の土を掘るように命じ、湧き出た霊泉の水によって難病が癒され、不幸·災難から救われ、心の傷を癒されるなどの多くの奇跡が行われ、たちまち世界的聖母巡礼地となった。
1864年、ベルナデッタの陳述にもとづいて作成された聖母像が洞窟に安置され、1876年に小聖堂が洞窟の傍に建立され、1901年に原罪の大聖堂が完成した。

現在もルルドの洞窟の上には、たくさんの杖が置いてあり、これは杖をついて来た人が、ルルドのお恵みで杖が不要になり置いていくためだ。

1891年、教皇レオ13世は2月11日をルルドの聖母出現の祝日と定め、自らヴァチカン宮殿の庭園の奥にルルドの模型を作らせ、その前で祈りを捧げたことにより、これに倣って世界各地にルルドの洞窟が作られるようになり、巡礼地となっている。



井持浦ルルドの由来


フランスのルルドに聖母が現れてから僅か7年後、1865年3月17日に長崎の大浦天主堂でプチジャン神父と日本キリシタン信徒の子孫との感動的な出会いがあった。

浦上のキリシタンは「サンタマリアの御像はどこに?」と尋ねたのである。
聖母マリアの引き合わせによる浦上信徒発見後,外海、平戸、五島各地のキリシタンも続々名乗り出て教会に帰依したが、浦上信徒の流罪、各地のキリシタンも恐ろしい迫害を堪えて、1873年キリシタン禁制が
解かれ、五島各地にも次々に教会が建ち、宣教師が派遣された。
全五島の宣教師牧を委ねられた仏人アルベルト·ペルー神父は、故国ルルドの洞窟を五島にも造ることを計画し、場所を下五島·玉之浦の井持浦天主堂脇に定め、全五島の信徒に呼びかけて着工に当たった。

五島の津々浦々から小舟で運ばれてきた美石は、信徒たちの奉仕によって造築され、1899年に完成した。

同神父はフランスからルルドの聖母像を取り寄せて洞窟に収め、さらに本場ルルドの泉から取り寄せた霊水を洞窟横の泉水に注ぎいれた。
こうして日本最初のルルドが造られ、以降参詣者が後を絶たず、また霊水により特別のお恵みを頂いたと報告するものも少なくない。

ルルドについて詳しく書いてあったよ~。ひらめき電球


そんなわけで

井持浦教会は、ルルドの泉、必ずお参りしてね。


聖水をいただけるボトルも売っていて

お水を持ち帰ることができますよ。万歳キラキラ