★近畿地方 和歌山県のパワースポット★
AMATERAS熊野三山ツアー報告♪2日目
熊野本宮大社、大斎原、玉置神社
まずは~
熊野本宮大社 へいきましょ~。
ご祭神
家都美御子大神
住所
和歌山県田辺市本宮町本宮1100
行き方
JR新宮駅 → 1時間20分(熊野交通 ・奈良交通 )
熊野本宮大社に朝早くバスでむかっていると
山深く荘厳な雰囲気がとても素敵。
新宮川には、朝霧の湯気が川の上に沿うようにゆっくりと流れていく。
白龍の姿みたい、神秘的だなぁ・・・。
さっ、全国の熊の神社の総本宮
熊野本宮大社に到着です~。
昔の人達は、この本宮→新宮(速玉大社)→那智大社と巡っていたんですって。
レッツゴーゴーッ
わぁぁぁ・・・幟がいっぱい。
この表参道のこと、通称、願掛け参道というそうで
大幟は、5000円の初穂料をお納めすると、
奉納していただけるんですって
ふぅ~
シンとした荘厳な空気
ひんやり冷たい。
とても、厳かで神聖な気が流れているよ~。
こちらの参道は、右端から登って
下りは、左端を歩く習わしで
ここから、158段の石段をあがります。
・・・っと、この参道を歩いている時から
ウキウキワクワクしている人達が。
めっちゃるんるんニコニコしてる。
修験道の前世?がある人たちって
さっ、祓戸大神様のもとで
身を清めましょう~。
こほこほ。
小さな咳、ゲップ、などなど
体から出るものは、全部祓い。
それではっ、再び参道をあがりますよ~。
熊野神社って、全国4784社もあるんだ~。
すごい数・・・。
でも、日本には、神社が八万あるといわれているんですって。(笑)
昔はこんな感じだったんだね~。
有史以来、熊野川の中洲・大斎原に鎮座していたけど、明治22年に熊野川未曾有の大水害により、上・中・下各四社のうち上4社を除いて、甚大なる被害をうけ、明治24年3月に被害を免れた3殿を現在地に移築し御遷座されました。
水に囲まれた神域で、
境内の気はより一層美しかったでしょうね・・・。
さて、ここからは撮影禁止となっていますが・・・
まず、熊野神社について。
東御前 (若宮)天照大神
御本社(證誠殿)家津御子大神(素盞嗚尊)
西卸前(速玉宮)速玉大神(伊邪那岐大神)
(結宮)夫須美大神(伊邪那美大神)
当宫は熊野三山(本宮·新宮·那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。
御主神は家津御子大神、すなわち素盞嗚尊、樹木を支配される神であり、紀国(木ノ国)の語源もここから起っております。
大神は植林を卸奨励になり、造船の技術を教えられて、外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。
奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広まりました。
約千年前、宇多法皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇·上皇·女院の御幸は、百数回に及びました。
これが史上有名な熊野御幸であります。
これと前後して当時の神仏習合によって、御主神を阿弥陀如来といって尊び日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋めr蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度、熊野に三度、どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在五千数社を数えています。
その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と様々な変災の渦中にありながら人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(おからす様)の神符とともに全国に伝播ーて、明治時代に至りました。
現在の社殿は、享和二年、徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里、現本宮町大斎原(指定文化財)に建立されましたが、明治ニ十ニ年の大出水にあって、現在地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申上げます。
なお、旧社地は大斎原と呼び、石祠二殿を仮宮として、西方に中四社を、東方に元境内摂末社を合祠してあります。
八咫烏(由来)
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。
三本足とは熊野三党(宇井.鈴木·榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊)
の御神徳である、智·仁·勇、又、天·地·人の意をあらわしています。
鳥は一般に不吉の鳥とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇御東征の砌,天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。
又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折那須与一出身地(栃木県)烏山城は鳥が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。
次に世界各国の一部を記せば、
★スカンジナビア
オジンの神の肩に止まった鳥が2羽、1つは思考、1つは記憶と名づけて毎朝2羽の烏を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
★古代ギリシャ
烏はアポロの神の標識。
★ツリンキート族
光を最初にもってきて、光を人にあたえたのは鳥であると伝えられている。
又。最近スポーツのサッカーが青少年、若い人々に人気を博している。
日本サッカー協会のマークは八咫烏です。
(明治時代にサッカーが日本に始まった。この頃から使用されているそうです)
サッカー協会のマークに使用された意味は、考えるに目的とする相手チームのゴールをはずすことなく、きちんととらえて納めるという意ではないでしょうか。
★人の道開きの開運、人生,目的達成
★現在地~目的地の間、無事に到連する意
海上安全、交通安全(車、ニ輪車等)旅行安全、通学安全の守護
※八咫烏のお祭りに関わる祭典
毎年一月七日、タ闇深き時刻(午後五時)に厳修斎行される(年始め牛王刷り初め)があり、当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。
境内に入ると・・・
うぉぉぉおぉぉぉぉ・・・
ぐる~ぐる~~
趣ある偉大な拝殿
雄大でどっしりとした重厚感・・・
なんだろう、懐かしいというか、心がホッとする感じ
魂の故郷というか・・・。
威風堂々とゆったりした広大な力に支えられる存在で
大地そのもの、自然のすべて・・・という感じがするよ。
左から
③第一殿・・・夫須美大神(伊邪那美大神)千手観音 現世を司る
しっかり地を守られる力
②第二殿・・・速玉大神(伊邪那岐大神)薬師如来 前世を司る
心落ち着く健やかな空気
①第三殿・・・家津御子大神(阿弥陀如来)阿弥陀如来 来世を司る
勇ましく気高い存在
④大四殿・・・天照大神(十一面観音)
軽やかで温かく包み込まれる光
⑤満山社・・・八百萬神 結ひの神
一番大きなお社は、主祭神ではなく
主祭神のお父さんお母さんの神様、なんですね~。
でも、位置的にいったら、正面(中心)に祀られているのは主祭神。
熊野三山すべて、ちょっと絵が違うのと
熊野本宮大社がもともとあったところ
田んぼの黄色と
周辺の緑と空の青
そして、この大鳥居
たまりましぇん~~~。
日本第一大鳥居建立の意義
人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神.魂)の復活を祈念することであります。
神代の時代、素盞嗚尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目であることは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心)の蘇り,日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそこの壮大なる熊野の山·川は申すまでもなく、大斎原を発信基
地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年,熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮大社·熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居建立する運びとなった次第です。
八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。
竣工は、平成十二年五月十一日です。
(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル
さっ、またここから
撮影禁止なのですが・・・
杉の参道から空気がひんやり
また荘厳さがまして、ス~ッと体を抜けるような透明な空気が流れてきます。
はぁ・・・気持ちいい~。蘇生する感じ。
この参道、今でもパワースポットだよ~。
熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)旧社(大斎原)水害前の絵図
熊野坐神社(現·熊野本宮大社)は、熊野川·岩田川·音無川、三つの川が合流するここ大斎原の中洲に鎮座
していました。
熊野の神々は、中洲のイチイの巨木の梢に三体の月の姿で降臨したとも伝えられています。
一八八九年(明治二二年)、熊野川の大洪水によって建造物が倒壊しましたが、辛うじて倒壊を免れた上四社(三棟)を北西の丘陵に遷し、倒壊した中社·下社と摂末社の神々を二基の石祠それぞれに祀りました。左図の江戸時代に描かれた『熊野本宮并諸末社図絵』から、かつての1万坪を超える境内の概要がうかがえます。
一番大きな川が熊野川であり、左方より流れ込んでいるのが岩田川、大きく蛇行した後、街並みに並行して流れているのが音無川です。
森に囲まれた中洲中央には、横1列に並ぶ12柱の神々を祀る社殿と上神楽所、その前には大きな礼殿がみえます。
礼殿の前の大釜は、現存する『伝源頼朝寄進鉄湯釜』(宝物殿展示)です。
これらを囲む形で門を設えた塀が廻り、その外には幾棟もの摂末社が立ち並び、宝蔵·文庫·神馬舎·能舞台などが散在しています。
街並みから音無川を越えて境内へ入る箇所に太鼓橋(高橋)が架かっています。
江戸時代までは橋が無かった為に、参詣者は川を渡り足を濡らさなければ境内に入れませんでした。
これを「濡藁沓の入堂」といい、全ての参詣者が自然に身を清める禊をしたわけです。
下流の三川合流地点には船着場がみえますが、ここが新宮へと向かう「川の参詣道」の出発地点でした。
旧社地「大斎原」
ここは、大斎原と称して熊野本宮大社の旧社地です。
明治二十二年夏、熊野川未曾有の大洪水にて、上、中、下各四社の内、上四社を除く中下社の八社殿二
棟が非常なる災害を蒙り、明治二十四年、現在地(ここより西方700米の高台)に御遷座申し上げ、下四社並びに摂末社の御神霊は、ここ大斎原に、仮に石祠二殿を造営し、左に、中、下各四社を、右に、元境内摂末社(八咫烏神社、音無天神社、高倉下神社、海神社 他)をお祀りしています。
大斎原はね、一見、広々とした自然の公園という感じ。
鮮やかな緑、深い緑が周辺を囲む中
イチョウが鮮やかに黄色く発光していて、所々、赤っぽい紅葉がとてもきれい。
ドーンと空がぬけていて、瑞々しい芝生が一面広がり、
日向でごろ~んと昼寝したくなるような気持ちよさよ~。
日向ぼっこ。日向ぼっこ。あったかぁ~い。
芝生の上って、心地よくて落ち着く、癒されるよ~。
大地の包容力を感じる・・・。
ここは、自然の一つ一つに目がいく
とてもゆったりとした時が流れてるなぁ・・・。
とにかくただっぴろい感じがまたいい~のです。
そこに鎮座する二基の石祠。
中四社
第五殿 忍穂耳命
第六殿 瓊瓊杵尊
第七殿 彦穂々出命
第八殿 鸆鵡草葺不合命
下四社
第九殿 軻遇突智命(火の神)
第十殿 埴山姫命(土の神)
第十一殿 弥都波能売命(水の神)
第十二殿 稚産霊令
深く眠くなるような、大きな力・・・
ここは、ずっとこちらに神様がいらっしゃるというより
どちらかに、いらっしゃるような感覚。
また、熊野本宮大社とは違い
さぁっ、お参りがおわったところで~
川のほうへいってみよ~。
そうそう、この川、前回も確か渡ったような・・・。(笑)
・・・っというわけで
川、太陽、自然の神様に挨拶をしたところで
いってらっしゃーーい。
最初は、この辺まで・・・とかいっていた人達も
向こう岸に向かう人をみると
ついていくのが、日本人。(笑)
川の水は、深い所で膝の裏側くらい
みんなズボンの裾はぬれぬれ。
ふふふ~
みんなわぁわぁいいながらも楽しそう~。
川の水って神様に挨拶すると
エネルギーが変わるの。
より清らかな気が増して、川が生き生きする。
そのときに川の水に触れると、より体の気がぐるんと浄化されるんだ~。
だから、上がったとは、み~んな
『足が軽くなった~~~』と、喜んで、
心が光でいっぱいになったせいか
まぁ、よく笑う。よくしゃべる。
笑うって、邪気を跳ね飛ばす
邪気を追いだすからばっちりよ~~。
なんていうと
あははははははは~~~~
笑いだす変な集団。(笑)
あほになって、壊れちゃったみたい。
完全、ナチュラルハイ。(笑)
はははははは~
『へんな薬やっている人みたいだよ~』
な~んて、これまた楽しい。
あはははは~~~
そして・・・
『がんばれ~あとちょっと~』
早く渡った人達が、残っている人達を応援。
大人の運動会みたいになってるね。(笑)
子供のようにキラキラしている大人がいっぱい。
そうだそうだ
これだって、甦り。
この瞬間。このことだけに集中して楽しむこと。
笑って、喜んで、周りを応援して
純粋な光が溢れてる。
いいなぁ・・・やっぱり・・・熊野は甦りだね。
さてっと~
さっき通過しちゃったけど・・・
ご祭神 伊邪那美命の荒御魂
八百万の神々を始め、すべてを生み出された産土の神と仰がれる。
おぉぉぉぉお~
ぐるぐる~ぐるぐる~
かなり重厚で力のある気!パワフルです~
新たに生み出す力、助けていただけそうです~!
・・・っというわけで
熊野本宮大社にお参りしたら
ぜひ、産田社、大斎原、川も訪れてくださいね。