★関東地方 群馬県のパワースポット★


つづいては~

群馬県です。キラキラ


高崎白衣大観音が有名なお寺

高野山真言宗慈眼院 へ行こうと思ったら・・・

慈眼院があるのは

観音山という山。

 

山全体、観光地となっているんだね~。うへ

 


その、慈眼院に行く途中・・・

山麓にあったのが、群馬県護国神社。


御祭神

英霊 47,000柱


住所

群馬県高崎市乗附町2000
027-322-6309


地図はこちら



護国神社というと・・・

戦争でなくなった方がお祀りされている神社。


御祭神は、群馬県出身関係殉国の英霊。
そして、その数47,000柱


ようは、戦争で亡くなった

47000人のなくなった霊魂が鎮まる神社。



パワースポットとは、ちょっと違うし・・・


なんとなく、戦没者をお祀りする神社は

私は、避けてきたところでもある。


靖国神社もいまだいけてない。

 



戦没者 = 戦争

 

戦争というと、苦しい、悲しい、辛い、

その亡くなった英霊をいたわるほど、

今の私には余裕がない気がして行けなかった。

 

戦没者というと、文字を見ただけで、心が曇ってしまうくらいだから・・・。

 

そんな私に、慰霊、霊を癒すことなんてできない。

行くのが怖い。だから足が向かなかった。

 


でも、なぜだろう。



今日の私は違ったんだ。

行ってみよう、素直にそう感じた。

 

人はそういうタイミング、あるのかもしれない。

自分の中の、何かの準備が整うとき。

参道を歩くと、緑が生い茂り、綺麗だった。

とても優しい。穏やかな参道。

 

フィリピン方面戦没者慰霊碑

という文字が目に入る。

 


・・・


・・・



頭では、わかっているんだ。


日本が幸せなのは、いろんな歴史を先代の人達が乗り越えて、今があるってこと。


小さいころは、おばあちゃんから戦争の話を聞いた。

空襲の話も、お腹がすいた貧しい話も。


中学の修学旅行は、広島で原爆ドームにいった。

喉がカラカラで、喉がはりつきそうだった。


高校の修学旅行では沖縄にいって、

ガマに入り、亡くなった方の残像もみた。


お参りをしながら、激戦地にも何度も足を運んだ。



ただ、むやみやたらに怖がっているんじゃない。

 



戦争に関わった人の魂や、土地と向き合うたびに

自分の心がすり減ってしまうときがあるから

 

ヨッコイショッて・・・

自分を一生懸命、立たせて、平然といるようにしていないと

ちょっとでも弱ったら、すぐ自分がなえてしまいそうで

踏ん張る自分に疲れていた。

 

だから、護国神社や靖国神社にいけなかった。

 


戦争が云々とか、議論をしたいわけじゃない。

ただ、体と心が、どうしてもむかなかった。

それだけ・・・。

 

言葉は時に誤解を生じるし、

うまく伝えようって思えば思うほど

伝えられない。

 

わたしの心を伝えるのに、言葉がたりない・・・。

だから、こういうこと、あまり書くこともできなかったんだと思う。

わぁ・・・・。
 
境内は、広くてとてもきれいな芝生が広がっていた。

私が想像した、悲しい世界ではない。
もちろんおどろおどろしい感じではない。

 
ちょうど、結婚式をあげている人がいて
正直、おったまげた・・・。

結婚式って、恋愛成就や、縁結び、安産子宝
そういった神社で行われることが多いのかと思ったけど
戦没者をお祀りする神社でも行われていたんだ・・・・。

 
きっと、地元の方なんだろうな。

 

・・・ふと思った。


 
私は、知っている人で
戦争でなくなった人はいない。
 
でも、もしそういう人がいたら、
その人が祀られる神社というのは
また特別な神社に感じたのかもしれないな・・・。

おじいちゃんが見守ってくれている
そう感じたりして、心が安らいだのかもしれない。

 
 
玉砂利の音をききながら
ゆっくり歩いた。

参道をあるいていくと
鮮やかなグリーンが、とても穏やかで優しく感じた。


 
そして、拝殿で手をあわせたら
落ち着いた空気に包まれ・・・

不思議な気持ちになった。
 

ここは、たくさんの魂が癒されている
穏やかな社なんだな~って。

 
そして・・・

よかったって
自分たちは、無駄じゃなかったよって。

今の私たちをみて
英霊たちは、未来を私たちに託しているような気がした。

 
想像しなかった
やさしさに触れた感覚だった。

 
私たちの願いや、生きて苦しむ人の悩み
笑顔、幸せ・・・

いろんなことを、うんうんと身近で聞いて
ただただ、見守り、受け入れてくれる。


ここは、、慈悲と癒しの聖地だ・・・。


 
私は、ずっと、思い込んでた。
慰霊の神社は、辛い悲しい気持ちになるんだって。


でも、違った。

 
英霊の存在は、訪れる人たちを信じ
見守って微笑んでいるような感じがした。


そして、お参りをしながら
その気を受け取ったからかなぁ・・・。



わたしは帰りながら 
自分自身について考えた。


ただただ、他人を信じて見守るというのは難しい。

 
人のために何かしよう
相手のために何ができるか
人に変わってもらえることをしようって
考えちゃうこともある。

 
でも・・・、微笑んで、
受け入れる柔らかい心でいられたら
それが一番いい。

 
自分の想いより、相手を信じて受け入れてあげること。

 
それって、本当に関係が近かったり
思い入れが強かったり
愛情が深くなると、難しい・・・。

 
でも、その見守ることで、相手が自然と気づくことも
あるのかもしれないなぁ。


今の私がそうあるように。 


きっと、自分に余裕があったり、心が幸せでないとできないから
やっぱり、自分を癒すこと、なのかもしれない。

 
境内にいながら、
いつも以上に自分の心と向き合っていた。

 
もしかしたら・・・
戦没者の慰霊の神社は、
少しお寺のような要素があるのかもしれないね。


英霊は、古い神社の神様よりも
人に近い存在。


私たちのこと、より近く感じて
伝えてくれることが、あるのかな・・・。


もし、私と同じ気持ちで
護国神社や靖国神社にいけない人がいたら

きっとご自身のタイミングで
行こうって思ったときに、訪れたらいいのかもしれないよ。

よきタイミングで行くと、先入観ではなくて
自分の中で、うまれる感情が、

想像もしなかった想いを
教えてくれるのかもしれないから・・・。