★愛媛県 四国地方のパワースポット★
つづいては~
立石山メンヒルにお会いできたところで
立石山へ登ってみたいとおもいまーす。
※三秀園
住所
愛媛県越智郡上島町生名
(詳細不明)
なんだこれ?!
立石山って、修験の地なの?!
そして、この方は・・・??
明治大正時代に活躍した女傑の一人といわれ
一代で造船業の下請けの麻生組を興した男装の女親分
麻生イト扇である。
因島市土生町の公共事業や教育活動など
町の発展につくし『憲政の神様』といわれた
尾崎行雄などの政界人や、河東碧梧桐のような
文人とも親交があった。
晩年は、私財を投じてこの立石に三秀園を造園して
観音信仰の霊場とした。
・・・ってなわけで
別名観音山・・・
仏教の山でもあるのね。
時代とともに変化していたんだ~。
とりあえず、けもの道ではなさそう。
よかった。(笑)
観音様こんにちは~。
ちょっと気になったので
立石山子安観音堂だ~
でも、中は…よくみえましぇん。
・・・
さっ、来た道をちょっともどって~
観音様にお会いした通りへ
バックバック。
ガサガサ ガサガサ
?!?!
山の斜面のほうで
何かが歩くような物音が。
鳥にしては、大きい音だし・・・
なんだろう?人じゃないから動物??
あらあら?!
みてみて~直立する竹の間に、
木がこんにちはって出てきてる。
ちょっと面白い。
なかなかないよねこの共存。(笑)
ヘイホッ
ヘイホッ
歩いていくと、左右に道が分かれた。
んじゃー私は左側にいきまーす。
(右にいくと、五重塔 子安観音があったみたいよ~)
道沿いには、たくさんの仏様が、
守ってらっしゃる~。
立石山三十三ケ所
四国三十三ケ所の札所に見立てた
石の菩薩像が中腹までの山道に並んでいます。
設置された時期などは不明ですが、
古くから信仰のあったことと関係があるのでしょう。
菩薩像は、一つ一つ姿形や表情が違います。
それにしても、蛇のようにくねくねの階段道。
登山的に厳しい山という感じではないけれど
案内板がないから、先がどのくらいなのかわからないよぉ~
まだまだかなぁ??
登りながら曲がるたびに
仏様に出会う。
おっ、また左右に分かれた!
なんかここ、安産の祈願の地と
書いてあったけれど、
別の意味もありそうな気が。
気のせい・・・??
はぁ~結構上ったよ。
もうすぐかなと思ったら、まだだまだ。
うにゃぁ~ん。
はぁ
はぁ
まだか・・・。
見上げると結構岩がゴロゴロしてる。
岩がところどころじゃなくて、
はぁ
はぁ
ちゃんと整備されているけど
頂上の仏様こんにちは~。
おおよそ23分で到着~。
30分は登ったと思ったけど
そこまで時間かかってなかったんだ。
このゴロゴロしている磐座は・・・
この頂上部全体が祭祀の場(磐座)であり
陽石(男性)陰石(女性)があります。
昭和50年の秋の文部省による
弥生系高地性集落総合研究では
太型蛤刃石斧、石包丁、石鏃、磨石、ナイフ形
石器などの石器類と、弥生式土器片が
多量に出土しました。
弥生時代中期の『倭国大乱』と関連づけて
考えられており、祭祀と軍事的防塞との
複合遺跡として、きわめて重要な文化財ですから
大切に保存しましょう。
ですって~。
この磐が遺跡だったんだね。
ただですねぇ・・・
どれがどの石なのかはわかりましぇーん。(笑)
さぁっ、挨拶~挨拶~。
ふぅ~
さっきまでの気とは変わり・・・
随分重みのある気が伝わってくる・・・。
ぐ~~~る~~~
ぐ~~~る~~
渦巻いてる~
そうそう、下で挨拶した時感じた感覚とにてるかも。
エネルギーが地と繋がる。
深い。深い。
なんだろうこの感じ・・・。
脱力というか眠だるくなるような・・・。
そして、全身、特に足がパンパン。
かなり古い古い古い
鎮魂のエネルギーに似てる・・・。
封印というか・・・。
手をあわせながら、自然と般若心経がでてきた。
その時代によって、信仰が変わり
エネルギーも変わっていると思うけれど
今私が感じているのは
古いころのエネルギーなのかも。
この山は、どのエネルギーに繋がるかによって、
まったく違う山に感じそうな気がするよ~。
興味深い!!立石山!!!
きーーもちぃぃーーーーっっ
この景色を眺められるだけでも
登ったかいありです。
ぜひぜひ~。
フェリーにのって、お越しくださいっ。(笑)
ははは~