★東北地方 青森県のパワースポット★


つづいての聖地は~

縄文時代を感じられる

三内丸山遺跡へとまいりましょ~宇宙人キラキラ


住所

青森県青森市三内丸山
017-766-8282

地図はこちら



わおぉ!!うひっ


かなり立派

かなり広そうだよー


えぇっ、これすごくない??


これで入場料無料?!

普通有料よね~!!

館内はとってもキレイでボランティアガイドさんが

約1時間おきにガイドしてくれるみたい。


私が行った時は、夏休みの時期だったからか

30分おきにあったよ。


では、ガイドさんに続いて

レッツゴーッッキャッキャッ

ひろっっ!!!かお


広大な敷地に

芝生の広場。


ひゃっほぉ~走りだしたぁ~い音譜


『ここはね、お墓の道路といわれています。

この道路にそってお墓があって、22基発見されています。

骨はなかったですけどね。(笑)

みなさんが歩いているのは、縄文時代の道路の1M上。

保存されるために、1M地中に本物の縄文時代の土があるんです。

ちゃんと、縄文時代もここに道路があって、

その隣にお墓が並んでいたんですよ。』


へぇ~


通路の脇にお墓・・・。


自分が毎日通る?であろう場所の隣には

ズラーッとお墓があるということかぁ。


今じゃ考えにくい作りだけど・・・


亡くなった方に対する想い

縄文時代の人々にとっては、

特別なものだったのかなぁ。大トトロ


こんな感じみたい。ポイント


環状配石墓


1M下には、このお墓が発見されて
円の中には二人埋葬されていたとか。


芝生がこんもりあるだけだから

これ、ガイドさんがいなかったらわからかったかも。(笑)

みてぇ~広いでしょ~。よっ


ここは、なんと野球場を建設する予定だったんだって。


でもね、ここに遺跡があるということは

ずっと前から分かっていたそうで・・・

それでも、野球場をつくって有名な選手にきてほしかった!とか。(笑)


で、作り始めて、客席ができてきたころ

とても大事な遺跡が発見されたらしく


これは・・・


ということで、遺跡を残そうという運動が強まり

野球場はあきらめられたそうなの。


だから、つぶされちゃった遺跡も結構あるとか。(苦笑)


なんにせよ、残って良かった~ラブラブ

ひょぉ~っっキイロキラ広っ!!


この遺跡は、パワースポットとして紹介されていることが多いけれど

今現在の気の質でいえば、神社仏閣はもちろん、

自然の森や川、海のほうが自然のパワースポットと言えるかなぁ。


縄文時代の人達が住んでいた土地。


昔の人はいい場所(土地)が本能的に分かったから

いい磁場の所に住んでいた。


だから、聖地だ!という考えは

本当に~~♪と思うのだけど


磁場って変化していくし

なんといっても、本物の地面は1M下の地中。


空はあいているから

ここは、この開けた空間と芝生の空間

それだけで、気持ちがいい。


でも、パワーぐるぐる~というわけではないかな。うへ


でも清々しい気持ちになるので

気持ちはゆったりするよ~。


気持ちがいいお散歩コース~に近い感じかな音譜

まずこれからいくのは南盛土。


保存状態をたもつため

1M下の地面が出ているところは

小さなドーム形の建物の中に入るみたい。


テテテッ足あと

じゃぁぁ~~~んうえ


これが縄文時代の土。

といっても、よくわからないよね(笑)


ここには、1000年間捨て続けられた

2mほどのゴミの山が発見されたそう。


でもね、そこには土器や石器、土偶や翡翠があったらしい。


それってさ・・・ゴミじゃないよねぇ??

どちらかというと、大切なものじゃない??


生活の道具だったり、土偶って、

人形のものもあるでしょ?

そして、アクセサリーの翡翠・・・。


え?ゴミ??


っと思っていたら


『一つの考えとして、ゴミではなかったんじゃないかという

専門家の意見もあります。

ここで発見された翡翠は、ここから760キロも運んできた

翡翠だということがわかったんです。760キロですよ~。


大事なもの大切なものがね、山積みにされていたということで

この世からあの世に送ったものだという考えもあるんですよ。』


ほぉぉ~~!!すき、そういう話。(笑)ドキドキ


それが本当かどうかは別として・・・

その考え方は、エジプトやインカと似てる。


昔の人ってすごいなぁ。


今の人達は世界が違っても、

同じように、大切にしていること

考えていること、習慣ってあるのかなぁ・・・??


ふと・・・


5000年後は、今の私たちが残したものをみて

どう感じるんだろう??



こういう所にくると普段考えない感じないことに

目をむけられる。


いろんな意味で刺激をくれる感じだよ・・・。キラキラ

こちらは竪穴住居跡


縄文人が住んでいた建物

といっても、もちろん復元だよ~。(笑)


発見されたのは、地面にささっていた

柱の跡なんですって。


その太さの木を跡にそっておくと

こういう形になるということで

分かっているのは、あくまでも骨組みだけとか。


上のかぶさっている形が

全てこうだった!というわけではないみたい。


ちなみに中央には炉があって

550棟もみつかっているんですって。


建物からざっと計算すると

400人から500人は住んでいたのでは?といわれているらしい。


続いて、大型竪穴住居跡

ここがその跡なんだけど

本物というよりも

この1M下に本物があって、土がかぶせられているらしい。


で、穴があったところには

同じように穴をつくっているとか。


その復元した建物が・・・

これこれ。



かなり広いよぉ~。


中は150畳もあるみたい。


集会所だったのでは?という話で

炉のあともありました。


みんなで集まって御話してたのかな??

つづいて4500年ほど前の大人の墓。


また、最初にみた環状配石墓とは違う形だね~。


ちなみに、縄文人の寿命は

30代だったのでは・・・??と言われているそう。



道路を挟んで向かい合うように並べられていたそうで

500基ほどみつかっているとか。


でも、ちょうど野球グランドのガイヤ部分ができた所が

このあたりで、お墓がいくつかつぶれてしまったそう。笑


そのお墓の本物が展示されているけど

反射してみえない。(笑)


道路が斜めになっていて

左側があがっているの。


『頭はどっちだとおもいます??

ちなみに北は右です』


死んだ人は北まくらだから・・・と考えて

北!という人続出。(笑)


『お釈迦様が北にむいて亡くなったことは

縄文人には関係ないよ~』


とガイドさん。


結局答えはないらしく

今は分かっていない。


でも、左側が少し上がっているため、

頭は左なのでは???


とみんなで話をしたの~。うへ


つづいては、掘立柱建物跡


想定復元というらしく

おそらくこうであったであろう・・・という復元らしい。


背が高いから、食べ物をたくわえていたのでは?

ともいわれているとか。

そして、こちらは

北の谷


ここからは、たくさんの動物や魚の骨

植物の種がみつかり

湿地帯で、水気の中にあったから

ちゃんと保存されていたそうなの。ひらめき電球


この場所なんだけど

今でも、水気を保つために、

スプリンクラーなどが設置され水をまいているんですって。


空気にふれるとダメになっちゃうとか。


私逆かと思ってたよ~

乾燥させたほうが保存できるのかと思っていたけど違うのね。お~


ちなみに、ここからは

縄文人が使っていたというポシェットもみつかっているよ~。合格

(本物です 笑)

そして、北盛土

建物の中にはいると

原型はとどめてないけど・・・


実際の4500年前の土器や石器が転がっているよ~。キイロキラ

そして、この近くには・・・

こどもの墓が。


こちらは5000年前のお墓らしいの。


子供の墓は、土器の中に亡くなった赤ちゃんを入れて

埋葬したらしい。


土器には丸い穴が開けられていたり、

底がぬけているものもあって、

魂の通り道と考えられたのでは??ともいわれているみたい。


その土器の中には、丸い石が入っていたものもあり

墓標のかわり、魂のかわりとか、赤ちゃんに持たせたとか

説があるみたいなの。


それにしても、魂の通り道って・・・

縄文人がどう考えていたかはわからないけれど


ピラミッドや、インカのお墓にもあったんだよね

こういった穴が・・・。不思議だねぇ。


縄文人の時代は、

チャンネルがすごかったのかしら??


解釈は分からないけれど、

国が違っても似たようなことがあるんだから・・・。


ちなみに、赤ちゃんが入っていた土器には

焼いたあとがあって、台所などで使われていたものでは?とか

ガイドさんがお話されていたよ~。ひらめき電球

このあたりからは800基ほど

赤ちゃんのお墓がみつかっているそう。

そして、この三内丸山遺跡の中でも有名なのが



大型掘立柱建物跡。

大きい柱跡だね~矢印


この柱の中に木があるのは

レプリカで、柱はクリの木でできているんですって。


そして私が興奮したのは・・・

この巨大な柱の建物の場所が特別だということ!!


夏至の日、冬至の日、

左右から一直線に朝日が入る場所なんですってー。


きゃぁぁ~アップ


マチュピチュの太陽の神殿と同じだ。


でも、どういった建物だったのかは

分かっていないらしいの。


えぇ~想像がワクワク。ドキドキ

その隣の敷地には

柱の大きさと、70トンの重さからだした

復元があるよぉ~。


屋根とかがないのは

いろんな説があって、まだ復元できないみたい。


この形だった!というよりは

柱の太さと重さを計算したら

この建物になった・・・ということらしい。


だから本当の高さは分からないみたいなの。

まぁ、それはそうと・・・

夏至と冬至の太陽がこの建物の

左右から上がるように建てられているんだ


というか、縄文人ってすごいなぁ・・・やっぱり。


高さがもし、あっていたのなら

相当高い建物。


・・・


・・・


光と闇、様々な恵みを与えてくれる太陽。


太陽が照り、作物が収穫できる。


太陽は大地から上がって、天上を通りすぎ

また下がっていく


天と地をつなぐ・・・存在。


・・・


・・・



天を見上げながら想像するのは楽しい。



これって、太陽の家だったのかなぁ・・・??


みんなで祈りを行っていた所。



ふと、墓を思い出した。


人が通る脇には、亡くなった方が葬られる。


亡くなった人と生きている人との距離感が

とても近く感じたの。


私は沖縄の離島や、海外にいって

人の死に対するお墓のつくりや行事を知った時

生きていた人の考えや想いに触れた感じがした。

光の世界は生きている世界、

闇の世界は死後の世界(魂)



もしくは逆か・・・。


もし、太陽が生きている人と亡くなった人

その世界を繋ぐ役目に感じていたら・・・。


やはり太陽は特別な存在だったのかもしれない。



・・・


・・・



真実はわからない。


ただ、巨大な柱ももつ建物で

夏至と冬至の時に左右から太陽の光が入る場所に

作られていた、というだけ。



でも、こういう想像はやっぱり楽しい。(笑)


でもさ、祭りごとが行われていた道具が

多数見つかっているんだから

祭事があった建物だとしてもおかしくないね。うへ


さてっ、外の遺跡をみたあとは

館内のミュージアムへ。


さまざまな展示がありまーす。

土偶は、すべて女性を表しているんですって。


女性(母)とは、縄文人にとって

神秘の生き物だったのかなぁ。


母から生まれてくる生命

生まれ変わりを祈っていたのかも。

縄文土器


縄の模様がこまかーい。

縄文人って、几帳面でオシャレだったんだね。


住む所も、動物の骨を葬る所も

赤ちゃん、大人の墓も、全て同じ敷地でも

ちゃんと分かれているし


土器だって、土器の形をつくれば使えるのに

こんな細かい縄の模様を刻み使っていたんだから・・・。


この網目にどんな意味があったんだろう。


大切な食べ物をいれるための

装飾だったのかしら・・・。

みて~っ矢印


アクセサリーだって丁寧に作られ

まるで、御守りのよう。


あぁ~見ていて、あきな~い。(笑)



・・・っというわけで

私にとっては、魅力たっぷりな三内丸山遺跡でした。合格


縄文人の素晴らしさをあらためて感じたよ~


どんなに少なくても2時間は必要なので

時間をたっぷりとってきてくださいね~。万歳