★千葉県(関東)のパワースポット★
~過去のブログと統合しています~
ちょっと
間にツアーの報告が入りましたが・・・
千葉県のパワースポットのつづき。
千葉県の安房の一の宮
洲崎神社へご案内しま~す。
主祭神 天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
相殿神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)天富命(あめのとみのみこと)
住所
0470-29-0713
じゃぁぁ~~んっ
すぐ近くは海だけど
神社があるのは山の中。
安房神社と同じく一之宮なので
こちらもセットでお参りしま~すっ。
標高110mの御手洗山は
太平洋と富士の霊峰を望める神社山とも呼ばれています。
その御手洗に鎮座する
洲崎神社は
安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣・厄除開運・交通安全の守護神
御神徳がたくさんありますが
再起・再興の神様
としても有名なんだそう。
簡単にご説明すると・・・
安房忌部一族となる
天富命は
阿波徳島をでて、房総半島に上陸し
様々な産業を開拓され、
忌部族の総祖神 天太玉命、
后神の天比理乃咩命をお祀りしました。
天比理刀咩命を祀る
代表的な神社は
東京都の品川神社
神田明神の摂社八雲神社
神奈川にも洲崎大神
などがあります。
詳しくは
由緒書にこう書いてあったよ
↓
神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総祖神天太玉命の后神天比理刀咩命を祀ったのが当社です。
平安時代の延喜式神名帳に式内大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。
鎌倉時代の治承四年(一一八〇)石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参籠し源氏の再興を祈願し、寿永元年(一一八二)には奉幣使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を寄進。以降関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられており、東京湾をはさみ湾の西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎する神社が数社あります。
また成田市鎮座熊野神社境内には、明和二年(一七六五)建立の「六十六社石碑」があり、四方に一宮の社名が彫られ、安房國一宮として当社の社名が彫られていて、広く信仰され
ていたことがうかがわれます。
江戸時代後期の文化九年(一七九七)、房総の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が当社に参詣し 「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。
それと・・・
お隣には
真言宗の寺院 養老寺があります。
正式名称は
妙法山観音寺。
養老元年(717年)に
役行者の開祖といわれるお寺で
洲崎神社の本地仏
十一面観世音菩薩が御本尊です。
私は、到着時間が遅かったので
お参りは次の機会に。
ぜひ、お時間がある方は
こちらもお参りしてね。
それと!!
一宮洲崎大明神というのは
二殿一社とされる式内社
一宮→洲崎神社を拝殿
二宮→奥殿を洲宮神社
安房一宮として尊崇されたそう。
洲宮神社は
安房国二之宮。
住所
千葉県館山市洲宮1083番地
私、気になっていた神社なの。
絶対、次回、いきたーい。
洲崎神社の指定文化財は
自然林とご本殿。
チェック、チェック。
洲崎踊り
2月の初午と8月20~22に位置に奉納される
みろく踊りとかしま踊りのことで
地元では、みのこ踊りと
呼ばれているそうです。
さぁ、いきますぞぉ~~
鳥居の大注連縄
高さ約15mの神明鳥居に
長さ13mの大注連縄がかけられています。
おや?
しめ縄には
久那戸大神(くなどのおおかみ)と書いてある!
庶民を守るための
災禍を防ぐ道祖神。
よろしくお願いします~。
うんうん
清々しい空気。
安房神社のブログでも書いたけど
千葉の房総って
波動が穏やかで落ち着いていて、
荒々しくなくの。
見えてきたのは~
子宝蘇鉄。
蘇鉄といえば・・・
八丈島にある優婆夷宝明神社の蘇鉄
龍神様のようなお姿で
パワフルなエネルギーで
すごかったな。
八丈島も、自然の聖地
たくさんあるから
またいきたい。
さぁ~てっ!
ここからは
厄祓坂
148段の石段、のぼりますぞ~。
謙虚な気持ちであがると
厄落し~厄落し~。
はぁ、はぁ
はぁ、はぁ
眺めがいいのは・・・間違いない。
へぇ
つ・・・ついたぁぁ・・・・。
あぁ、
急に振り返ったら
ちょっと
クラッ。
拝殿です~。
くるくる~
くるくる~
天高く上昇する気は
穏やかで優しい。
あったかい~
前を向く私達の
希望や夢を聞いてくださる
そんな感じする。
あっ
そういえば・・・
私、洲崎神社に来たの
4度目なんだけど
以前、父と一緒にきたときね
こちらでロケをしていたの。
わたし、しばらく芸能から
離れている時期で・・・
スタッフさんたちや
役者さんたちに出会ったのも
久しぶりで
そのとき
私、芸能の仕事
現場が好きだなぁって感じて
思い出して。
それで
もう一度、またやりたいなぁ
って心で誓ったのよ~
すごいすごい。
今、叶ってるじゃーーーーーん!!!!
ここは
緑がきれい。
長宮
豊玉彦命
→海を司る神
大山津見命
→山を司る神
建速須佐之男命
→厄除け、開発の神
大物主神
→豊工商、医薬の神
その奥にあるのが
金比羅神社
金毘羅大神
→漁業航海、医薬の神
そんでもって
左手は~
稲荷神社
宇迦之御霊命(うかのみたまのみこと)
→五穀豊穣の神
今回は、行かなかったけど
・・・って、
この日は
お姿みえなかったけど
素敵なパワースポットです。
さぁさぁ
洲崎神社といえば
参道の階段を下って下って
わたし、
行きたいところがあって・・・
海のほう。
う~みだ~~~
空気が澄んでいれば、
この正面に富士山が見えるんだって。
ひゃっほ~
ひゃっほ~
芝生って
気持ちいい~~。
・・・っと!
御神石がありました。
御神石は
その昔、役行者が飛来し海上安全のために、
龍宮より洲崎明神に献上された
一対の大きな石。
ある時、その一つが
天太玉命(安房神社の御祭神)御霊代として
東国鎮護のために
吉井の地に飛んでいった
・・・っということで
一つを洲崎の地に
一つを現在の三浦半島の横須賀市吉井の
安房口神社に
置いていったと言う伝説があるそう。
吉井の地に飛んでいった御神石は
同所鎮座の安房口神社の御神体としてお祀りされて、
両御神石は互いに向かいあい
「阿(安房口神社)吽(洲崎神社)の石」
と呼ばれています。
由緒書
↓
御神石
御神石はその昔、役行者が飛来し海上安全のため一つを洲崎の地に、一つを現在の横須賀市吉井の地に祀っていったという伝説と、龍宮より一対の御神石が当社に奉納されたが、ある時その一つが天太玉命の御霊代として東国鎮護のために吉井の地に飛んでいったという伝説が残されています。
吉井に飛んでいった御神石は、同所鎮座安房口神社の御神体としてお祀りされ、両御
神石は互いに向かいあっており「阿(安房口神社)呟(洲崎神社)の石」と呼ばれています。
洲崎の地は
文字通り洲の先であって、
外洋と内海を分ける位置にあり、
岬は「汐のみち」と呼ばれ、昔から海の難所。
吉井の地は房総への重要な交通路であり、
古道の要所であったため、
この様な伝説が残されたそうなの。
昔から、海上安全の守り神として
信仰されていたのね。
はあぁぁぁ・・・・
今日は磯の香りが強い。
時間がゆっくり流れていく。
いいなぁ
こういう時間がリセット。
やっぱり
自然のパワースポット
最高です。
・・・っというわけで
洲崎神社でした。
ぜひ、神社のお隣にある
養老寺にもお参りして
この海で
ゆったりのんびり
過ごしてみてくださいねっ