★関東地方 東京都のパワースポット★
~過去のブログと統合しています~
つづいては~
赤坂氷川神社 です。
ご祭神
素盞鳴尊
奇稲田姫命
大己貴命
住所
東京都港区赤坂6-10-12
行き方
赤坂、六本木、六本木一丁目駅→徒歩6分
赤坂氷川神社って
ちょっと、高台にあるんだけど
赤坂って思えないほど緑がいっぱいなの~。
だから、昔からすごく好き。
荘厳な雰囲気の中に、心和む境内があるって素敵素敵。
左手は、神橋がありますが・・・
四合稲荷神社(しあわせいなり神社)がありまーす。
わおぉぉ
これまた、一段と荘厳な空気に変わるよ~。
空気が重く引き締まる感じ。
えっと~
しあわせっていうから、ハッピーッという感じかと思ったけど
そういう軽い感じではありましぇん。(笑)
四合稲荷神社(しあわせいなり)
※毎年四月十五日例大祭
御祭神
宇迦之御魂神-食物の神、殊に稲の神
御縁起
①古呂故稲荷(赤坂一ッ木ニ番地)
古呂故天神社境内、氷川旧社地(氷川御旅所)に祀られていた稲荷社
②地頭稲荷(氷川神社遷座以前より拠の地に鎮座)
現氷川神社遷座以前より祀られていた稲荷社
③本氷川稲荷(本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座)
本氷川神社の稲荷社、今井の総鎮守として、住民から尊崇を受けていた
④玉川稲荷(赤坂門外の御堀端、現弁慶橋のあたりに鎮座)
御神体が玉川上水に流れ来た故に、玉川稲荷と称したものと推定
四社を明治三十一年、遷座合祀し、赤坂在住の勝海舟翁により、四合(しあわせ)稲荷」と称えられる。
大正十四年に、鈴降稲荷神社(赤坂一ツ木町に鎮座)及び、縁起稲荷神社(赤坂丹後坂下に鎮座)二社を、また昭和九年に、明徳稲荷神社(赤坂新町に鎮座)を、遷座合祀し、現在に至る。
あ、左手には、また違うお稲荷さんがおられるよ~。
西行稲荷社ですって。
ペコリッ
正一位西行稲荷社縁起
町内自身番屋敷地内に古来からあった祠堂。
勧請の由来は、年代不詳で、「火伏の稲荷」ともいい、火災除の御神徳がある。
ほうほう、元々古来からあった稲荷さんは
こちらなのですね~。
あっ、すごい。
鳥居をくぐると、エネルギーが高い!高いよ~!
洞窟があるけど
こちらは、ズシリとした気・・・
左手の階段を登ると~
あっ、みてみて~
狛犬さんが、こんな感じ。
くるくる~くるくる~~
清く高く崇高な気をもつ稲荷様だよぉ~~。
ここは、幸せ~とか、喜び~とか
そういった、明るい気が流れていて
火災除けの神様と書いてあったけど
心の災い的なものも、流してくれそうだよ。
私この稲荷さんが好き好き~。
きもちいい~~。
はぁ~、いい気分~るるる~っ。
きゃぁ~っ
境内は太陽の光が入りあったかぁ~い。
ぽっかぽっか。
ちなみにね、
正面にご社殿がある感じになるの。
イチョウの落ち葉があるせいか
太陽の光がでると、地面が一面黄色。
すっごく明るく感じて
心も、穏やかな光に包まれる感じ。
ここは赤坂という感じがしなくて
緑や巨木、小さな公園もあって、素敵だよ~。
すごいなぁ・・・緑の香りと、鳥の声が響く。
元禄の頃、この地は備後国三次藩浅野家の下屋敷でした。
三次藩は、寛永9年(1632)に安芸国広島藩から五万石を分知され立てられた支藩です。
初代藩主は、安芸国広島藩二代藩主光晟の庶兄因幡守長治で、娘には、播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長
矩の正室となった阿久里(阿久理、阿久利とも)がいます。元禄一四年(1701)3月14日、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央を切りつけた元禄赤穂事件が起きました。
長矩は即日切腹を命じられ、領地没収の上、家は断絶となりました。
そのため、長矩の正室阿久里は、出家し瑤泉院と称し、生家である三次浅野像に引き取られました。
以後、正徳四年(1714)に死去するまで、ここに幽居しました。この事件が起こった時、藩主が土佐守を称した三代藩主長澄であったことから、「浅野土佐守邸跡」として標識標識されました。
三次浅野家はその後、四代藩主、五代藩主ともに早逝したため享保3年(1718)に 断絶となり、遺領は広島藩へ還付されます。
ということで、元々もっていた
土地の方のお社なんですね~。
まだ、ちゃんと、その気も残っているんだね~。
さぁ、拝殿は神門をくぐると、すぐすぐ。
東京都指定有形文化財(建造物)
氷川神社社殿
この社殿は、本殿.幣殿·拝殿の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造の形式です。
江戸幕府の第八代将軍である徳川吉宗よって享保15年(1730)に建てられました。
吉宗は、享保の改革と呼ばれる倹約政策をとったことで有名で、社殿にも当時の質実簡素な気風を見ることが出来ます。
通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この社殿の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。
しかしただ質素なだけではなく、大きな雲形組物や吹寄せ垂木など軽快な意匠を取り入れる工夫も見られます。
また全体は朱漆塗としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっています。
氷川神社(赤坂氷川神社)
御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむぢのみこと)
主祭神の素盞鳴尊は、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されたことから、悪しきもの、「厄」を祓う力がお強い神様です。
また、三種の神器の一つ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」=「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」を発見されたことでも有名です。
二柱目の奇稲田姫命は、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治されたときに救い出され、後、二柱の神々はご結婚されたことから、夫婦神としてお祀りしております。
三柱目の大己貴命は、またの名を大国主命(おおくにぬしのみこと)といい、あらゆる縁(えにし)を結ぶことから、縁結びの神様として、古より全国で崇敬されております。
この三柱の神々をお祀りしていることから、特に厄除け·良縁(縁結びの御神徳が強い神社とされてきました。
起源
天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、1千年以上の歴史を有します。
創祀から百年後の治暦2年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈願するとその験があり、以来よく祭事が行われました。
江戸時代に入り、幕府の尊信は篤く、八代将軍徳川吉宗公が享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(忠臣蔵·浅野内匠頭の夫人、瑤泉院の実家浅野土佐守邸跡)に現社殿を建立、翌15年(1730年)4月26日に遷座が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。
以降、14代家茂公まで、歴代の朱印状(港区文化財)が下附されました。
明治元年、明治天皇より、東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」として定められました。
うわっわっわっわぁぁぁあ~~~
ぐるぐる~ぐるぐるぐる~
![ガッツ](https://emoji.ameba.jp/img/user/ok/okakei0302/1869.gif)
![しあわせぇ~](https://emoji.ameba.jp/img/user/mu/mugi-ouchi/89825.gif)
![きらきら](https://emoji.ameba.jp/img/user/8k/8kagura8/3768.gif)
土があり公園あり、過ごしやすいわ~。
![キャッキャッ](https://emoji.ameba.jp/img/user/ma/malilu/327423.gif)
東京都港区指定文化財
天然記念物氷川神社のイチョウ
目通り(地上1.5メートルの高さ)の幹径約2,4メートル、幹周約7.5メートル
推定樹齢四00年の巨樹。
氷川神社の記録をはじめ記載された史料はないが、神社が現在の地に建立された享保15年(1730)には、すでに100年を超える樹齢を有していたこととなり、それ以前からこの地で成育していたと考えられる。
この木は雄株。
港区内に現存するイチョウでは最大である善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っている貴重な樹木である。
はぁぁ・・・。
幸せだぁ。
こういう時間、都心にいるほど必要ですなぁ。
・・・っというわけで
赤坂というビル街にある、自然に囲まれた神社です。
お弁当をもって、ベンチでたべたいなぁ~
という、神社ですよ~。