★関東地方 東京都のパワースポット★

~過去のブログと統合しています~


さっ、都内近郊の神社。


この日は朝起きて、

おさんぽ気分だったの~。(笑)


・・・ってなわけで

 
代々木八幡宮にむかいましょう~~。宇宙人


ご祭神

応神天皇(八幡大神)


住所

東京都渋谷区代々木5丁目1−1

03-3466-2012

 

地図はこちら

代々木八幡駅、代々木公園駅から歩いて5分、

大通り沿いに面した

都心の住宅地にある神社。


由緒書には・・・


ご神徳
八幡さまは、その強いご神徳から厄除開運(怨霊退散)、産業·文化の発展守護(商売繁昌)、交通(渡航)安全の神としてまつられ、また、安産·子育て、家内安全など、ご家庭の幸福を導く神としてもあがめられています。


ということで、戦いの神様なんですが~

はああぁぁ・・・・。キラキラ


緑に囲まれ境内は静かで穏やか。

大きな道路沿いとは思えないね。


都心にこういうところがあるだけで
ほっとする。

やっぱり自然はいいものですなぁ・・・。足あと

さっ、鳥居が見えた所で~

となりには、福泉寺があるよ。

庚申塔(こうしんとう)
庚申の信仰は中国の道教思想に基づくもので、江戸時代盛んになり、村の辻などに庚申供養塔が
建てられました。
庚申信仰は、六十日ごとにめぐり来る庚申の夜、眠り込んだ人の体内から三尸(さんし)と呼ばれる虫が出て天帝(てんてい)にその人の罪過(ざいか)を報告し、罰が下されるというもので、寝てはいけないと信じられていました。
庚申堂や当番の人の家に集まった村人たちは、一晩中勤行(ごんぎょう)をして夜明けを待ちました。

その仲間を庚申講と呼んだのです。

この人びとによって庚申塔は建立されました。

庚申塔の多くは、青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)が刻まれ、その下に三猿(さんえん)が彫られています。
ここにある庚申塔の年記をみると、宝永六年(一七九○)、宝暦五年(一七五五)、寛政六年などと刻まれています。

ボ~ッ。キラキラ


緑の参道っていいね。

神様がおられるご社殿までの間
この参道が、自分の流れを変えてくれる。


歩く歩幅や、見るもの、触れるもの
風や光・・・

一つ一つ
優しく丁寧な自分になれるのは
自然がもつ流れが
ゆっくりだからかな・・・。


新緑の季節って、なおいい。
最高だよ~。

上をみると、青い空が抜けてて、
黄緑の葉が、ふわふわさらさら泳ぐ。

その葉音は、わたしにもこだまする感じ。


ふぅ~。
左手には、縄文時代の遺跡の復元。

あっ、猫ちゃんだ~。目ラブラブ 


代々木八幡遺跡
代々木八幡宮は標高約32メートルの台地上にあって、その境内から石器時代の遺物が発見されて
いました。
そこで、昭和25年(1950) の夏に渋谷区がここを発掘調査したところ多数の遺物とともに、関東ロームを浅く掘りくぼめた住居跡を発見しました。
ここから出土した加曽利E式土器によって、この住居跡には約四千五百年前に人が住んでいたことが
わかります
この住居跡に古代の住居を復元して、渋谷区では、その保存につとめています。



神社って、縄文時代の人が暮らしていた所や

古墳に建っている所も結構あるね~。ひらめき電球

あらっ

こんにちは~っラブラブ


なんか、ペキニーズみたいな

可愛いユニークなお顔。ニコニコ

代々木八幡宮は、鎌倉時代、建歴2年(1212年)9月23日、宗祐(そうゆう)という方によって創建されました。宗祐は、もとは荒井外記(げき)智明(ともあきら)という名前で、二代将軍·源頼家の側近であった近藤三郎是茂(これもち)の家来でした。

しかし、頼家公暗殺の後出家し、名を改めてこの代々木野に隠遁し、主君の菩提を弔って暮らしていたところ、ある夜、夢の中で八幡大神のお告げを聞き、目が覚めると手には宝珠の鏡が残されていました。

そこで宗祐はいばらの林を切り開き、この代々木の地に小さな祠を建て、鶴岡八幡宮の分霊をお祭りしましたのが創始と伝えられています。

じゃぁぁ~~~んっっビックリマーク


本殿主座◆八幡宮 応神天皇
配座◆天祖社 天照大神
配座◆白山社 白山媛神



ぐる~くる~~くる~

わぁ、落ち着きある、安定した、守る力・・・。

決して強烈ではなく、芯を持つ、
奥、芯に響く力という感覚かなぁ。

氏神の穏やかな気質ももちながら、
体の気を整えてくれる神社。 

足が重たかったのを
スーッと引いてくださったよぉ。

開運厄除け、怨霊退散。パー


感謝、感謝。キラキラ

右手には~

別宮
◆稲荷社 豊受大神
◆天神社 菅原道真公
◆榛名社 日本武尊

稲荷社と天神社については、江戸時代、大和国岩掛城主·山田政秀の第六女、紀州家側室延寿院殿が守護神として祀っていたものが奉祀されたと伝えられている。
その後、明治三十三年、神社合併政策により、山谷301番地(現在の参宮橋駅の西)にあった掘出し稲荷と、新町三番地(現在の文化学園の西)にあった銀杏天神社がそれぞれ合祀された。

榛名社については、この地域で雨乞い豊作の祈願のために上州の榛名山まで参詣するという習慣があったことから,おそらく各村や家に祀られていた榛名社が、やがて氏神様である八幡宮の境内に移されたものと思われる。

また、本殿の八幡宮の相殿として、やはり明治33年,山谷365地(現在の代々木公園駐車場あたり)にあった天祖社と、同じく山谷139番地(現在の南新宿駅の北)にあった白山社が合祀された。
このため稲荷、天神、榛名社と両社を合せて祭礼を五社宮祭と称することになった。


いろいろと
合祀されたんだね。ひらめき電球
ふぅ・・・。

荘厳な雰囲気。木陰だからかな。

私は、この木が昔から好き。
いつもピトッとくっついちゃう。

パワーがあって
ジリジリと元気を与えてくれるの。ラブラブ


別宮
真ん中の天神社は学問芸術文化の神様。
健やかに天と通じる軽やかな気。頭の中解放~。

右手の榛名社は、 武神~。
エネルギッシュで前向きなやる気スイッチオン。

左手の稲荷社は、五穀豊穣の神様~。
どしりと安定、地に足をつけ成長する力。
 

それぞれ、お力がありますっグッド!



そしてそして~
その右隣にあるのが・・・

出世稲荷社
祭礼日・・・旧暦初午の日
第二次大戦末期の昭和二十年(一九四五)五月二十五日夜。

このあたりは、あたりは米軍の空襲により大きな被害を受けた。

幸い神社は焼け残ったが、周辺は一面焼野原となり、その焼跡には家々で祀っていた稲荷社の祠や神使の狐などが無残な姿をさらしていた。

それらを放置しておくのはもったいないと、有志の人々らが拾い集め、合祀したのが、この稲荷社の最初で戦災の記憶と平和の大切さを偲ぶよすがともなっている。

なお、祭礼日の旧暦初午の日には、様々な祈願をこめた紅白の幟の奉納が行われる。


末社
◆出世稲荷社 出世稲荷大明神

ここは・・・


いわゆる、神道の軽やかな、稲穂の神様~

という感じではないかな。

 


由緒とかじゃなく

個人的な感想ですけど

人の分まで背負いすぎてるエネルギーがあると、
出世、前に進めないから・・・
因縁とかネガティブなものを外す力もありそう。


ちなみに、私は~
脇のこの祠が好き。ニコニコ

この場所にたっているときもちいい。
本来の稲荷さまの気って感じがする。ラブラブ

さっ、くるりとまわって~

こちらが境内案内図。

ベンチで座っていると

ふんわり眠くなっちゃう。


いい気候だなぁ・・・。キラキラ

目の前の景色をぽけ~。

こちら、ご神木さん。

帰り道歩いていくと~足あと

代々木八幡神社の森林は常緑樹、

社殿裏側は、イヌシデ、コラナ、ミズキなどの落葉樹

昔はアカガシとスダジイの混じった照葉樹林が林をつくっていた。

130種類もの植物が生育して、住宅やビルの多い都心にあって

古くから多くの人々の手によって育まれ守られてきた貴重な自然。

あったっ、あった。ビックリマーク


ここ、ここ。

階段の2段終わりくらいから

気がグッとかわって~

きゃぁぁあぁ~叫びアップ


くるくる~ぐるぐる~


パワースポットだよ~。


不思議なところなの。

ここ何があったのかなぁ~???



ふぅ~キラキラ



両手を広げて

深呼吸。


リリースリリース。


神社って、訪れるだけで

本当、リリースだね。



都内に住んでいると

雑踏のコンクリートばかり歩くから


神社の神聖な気や、磁場のいい上を歩いて

気(エネルギー)を高めていかないと、ですねっ。音譜