生きづらさの理由として

「HSPであること」がすっかり馴染んでしまっていますが

 

わたしは本当にそうなのかな、

と考え続けてきました。

 

でも実際にHSPの中には

生きづらさを感じている人が多くいる。

 

その事実も併せて改めて考えてみました。

 

 

生きづらさの理由として

 

他人からどう見られているのか

必要以上に気になったり

 

自分より他人を優先してしまって振り回されたり

 

周囲に気を使いすぎて疲れてしまったり

 

思っていることを言えなかったり

 

なぜか嫌な思いをさせられることが多かったり

 

関係のないトラブルに巻き込まれたり…

 

 

このように

人との関わりの中で

感じるものも多いと思います。

 

そしてこれらは

 

HSPの抱える悩みとして

あげられていることも多いですよね。

 

HSPの特徴とされていることも

しばしば見かけます。

 

 

でも

 

これらの悩みは

他者との境界がもろいことや

自己肯定感の低さによる

後天的な要因によって引き起こされるもの

 

HSPに限ったことではないのですが

 

なぜか

境界のもろさや

自己肯定感の低さの要因すらも

「敏感であること」が理由となってしまっているように思います。

 

HSPに限ったことではない生きづらさを

「敏感さ」に理由づけするのはどうなんだろう?と思います。

 

 

でも

 

実際にHSPに

後天的な要因であるとはいえ

生きづらさを感じている人が多いことは事実

 

そこから目を背けるワケにはいきません。

 

ただ

 

"こういった悩みを抱えている人がHSPです"

といった情報が多くある以上

多くなって当然かな、とも思うので

一概に「そうだ」とはいえないことは頭に入れつつ

 

境界のもろさは多くのHSPの悩みの種であると

エレイン博士も書籍で触れているので

 

 

「HSPに多い」と仮定して

どうして多いのだろう?と考えてみました。

 

 

HSPの映画の中で

 

HSPはHSPではない人よりも

育った環境の影響をより多く受ける

 

とありました。

 

書籍の中にも

 

敏感な子はそうでない子に比べて

悪い環境を吸収するだけでなく

良い環境も人一倍吸収する、とあります。

 

 

つまり環境によって受ける結果の

振り幅がHSPではない人よりも大きいということ。

 

 

そして

 

人間以外の高等動物にも

敏感な個体は存在していて

 

生存戦略として

 

敏感ではない個体とは

違う行動(慎重に行動)をする

 

いち早く危険を察知する

といった役割がありますよね。

 

 

人類は

あれこれと記憶や情報を組み合わせ想像するので

ややこしくもなるのですが

 

人類以外の高等動物での生存戦略の役割で

 

・HSPには生きづらさを感じている人が多い

・HSPはそうでない人よりも環境の影響を受ける

 

という2点を考えてみると

また違った答えが見えてくる。

 

 

わたしはそれらから

もしかしたら

 

生きづらさを作り出してしまいやすい

そういう世の中の環境(システム)であることを

HSPが(多く)映し出しているにすぎない

 

のではないかと。

 

そう考えることもできるんじゃないかと思ったんです。

 

 

HSPは人口の15%〜20%と少数です。

 

少数が間違ってる

多数が正しい、ではないのですが

 

どうしても少数だと感覚が異なり

"理解されない"経験が重なりますので

 

自分がおかしいんじゃないか?と

自分を信じられなくなることもしょっちゅう。

 

すると自己肯定感は育まれにくくなるんですね。

 

 

じゃぁやっぱりHSPだからじゃん!と

言いたくもなるのですが

 

敏感さそのもの

生きづらさを生んでいるのではなく

 

少数であることで理解されないと感じる環境

生きづらさを生んでいる

 

ということを

はっきり区別して捉えなければなりません。

 

 

環境によっては

自尊心の高いHSPとして育つケースもあります。

→敏感さとは恐れるべきものではない

 

書籍では

境界を築いているHSPについても

博士は触れています。

 

 

もし

敏感さそのものが生きづらさを生むのであれば

 

博士の書籍で紹介されているようなHSPは

存在しないことになる。

 

さらに

 

敏感さが生きていくうえで不利なものならば

それは弱点となり

 

弱点ならば淘汰されずに受け継がれてきたことは

考えにくい、とも書籍にはあります。

 

 

だから

 

生まれ持ったものが生きづらさを作るのではなく

環境が作ると考えたほうが自然だな、と思います。

 

 

 

そして

 

わたしやわたしの周囲にいるHSPの友人たちは

これまで生きづらさを感じてこそはいても

今は抜け出しています。

 

生きづらさを感じていても

それは後天的な要因のもの。

 

いつでもいつからでも

抜け出すことができるから

敏感だから、とあきらめてしまわないでほしい。

 

 

どんなこともそうだけど

 

問題を感じたものの中に問題の理由を探そうとするけど

(そのこと自体を問題だと捉えたりすることも含めて)

問題と感じている側やそう感じる環境に問題の理由はないのか、と

 

そう考えることもできるんじゃないかな。

 

 

もちろん捉え方はさまざまだけど

 

敏感さの中に生きづらさの理由を探していては

敏感さの概念の本質が見えなくなってしまうだけでなく

 

本来目を向けなければならない「問題(環境)」からも

遠ざかってしまうだけなんじゃないか

 

わたしはそう感じます。

 

 

「環境」や「社会」というのは

「個人」の集まりが作るものだと思います。

 

自身の持つ気質の本質を知り

人との違いに自分がまずOKを出してあげる

 

そのうえで「個人」がどう変わっていくか、

それによって自分の「環境」

ひいては「社会」が変わることに繋がるのでは。

 

これからの時代には大切なことかな、とわたしは思っています。

 

 

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