きのうは友人とプチ旅行の予定だったのですが

あいにくのお天気で延期

 

予定を変更してランチに行ってきました!

 

昼ビールビールはーと

これがあればどこでも幸せはーと

 

友人と会うと

右往左往していた軸がカチッと求める方向へ向くというか

また進もう!という気持ちになるというか

 

とにかく

普段は話さない深い部分のこととか

 

わかる、だけじゃなくて

違う思いだったとしても

「そうなんだ」と耳を傾けあえるというか。

 

しかもわたしと友人は

話すスピードも展開もかなり早くて

一緒にいた時間以上のやりとりが

凝縮されていると思います。

 

このテンポの良さも心地がいいし

違いもわかるも共有できる場は楽しい!

 

今日もたくさん話した!

楽しかった〜!またね〜!

 

…なんですけど

 

帰ってからぐったり。

いつも以上に疲れています。

 

でね

 

わたしこれ、ずっと言い出しづらかったんです。

 

疲れてるとか、ぐったりって

あまり良くないイメージで相手に申し訳ないと思って

帰ったあとぐったり…って言ってこなかったんですね。

 

それはなんでか、というと

 

"自分が好きなことをしているときや

ワクワクしているときは

人はほとんど疲れを感じることはない"

 

という文言。

 

ありますよね。

よく聞くと思います。

 

これが無意識に刷り込まれていて

 

疲れる=好きなことやワクワクすることではない

 

となってしまっているから

相手に申し訳ないと感じて

言い出しづらかった、ということなんです。

 

 

HSPの敏感さって

受けた刺激をどう捉えるかの心理の話ではなくて

 

そのもっと前の

自分ではどうにもできない脳の反応のことなんですね。

 

脳が刺激を受けた時点では

その刺激(出来事)には良し悪しはなくて

 

その後自分のフィルターを通すことで

刺激(出来事)のいい悪いを判断しているにすぎないんです。

 

つまり

刺激(出来事)は同じでも

人によって捉え方が変わるのはこういう仕組みなのですが

(HSPに限らず)

 

HSPの敏感さは

自分のフィルターを通す前の時点で

過剰に刺激を受けやすいというところなので

刺激(出来事)の良し悪しに関係なく疲れやすい

ということなんです。

 

 

でも、脳が刺激を受けたら

連動して自分のフィルターを通し

瞬時に人はものごとを見ていますから

 

自分のものごとの受け取り方

イコール、敏感さがそうさせている(そう感じさせている)と

思ってしまうこともあるかもしれません。

 

 

わたしがしつこく

事実(敏感であること)と感情(思考のクセやものごとの捉え方)は

分けて捉えることが効果的だとお伝えしているのは

↑の仕組みがあるからで、

 

敏感だからつらい(と感じる)のではない

ということを知ってほしい

 

分けて捉えると

わたし自身ラクになったという経験を実際にしたので

知ってほしいな、と思っています。

 

 

 

だいぶ話は逸れましたが

 

HSPはものごとの良し悪しに関係なく

過剰に刺激を受けやすいので

 

好きなことやワクワクすることをしていても疲れる

ということなんです。

 

なので

 

"自分が好きなことをしているときや

ワクワクしているときは

人はほとんど疲れを感じることはない"

 

この文言に振り回される必要はないな、と

きのう改めて思いました。

 

 

そして

 

精神面的にマイナスな出来事に影響を受けて疲れる、と

そちらばかり敏感な人の情報ではフォーカスされてしまっていますが

わたしは少し違う意見を持っています。

 

 

もちろん

自分の内側で起こっていることにもHSPは敏感なので

マイナスな出来事(と自分が判断するもの)は

動揺や圧倒されることに容易につながります。

 

ですが、

それは楽しいことも嬉しいことも同様です。

 

 

わたしが

「むしろ楽しいほうが疲れる」というのには理由があって

 

自分にとって嫌なことというのは

避けることも、離れることも自分で選択できますが

 

楽しいとか、嬉しいと感じているものは

避ける、離れるという選択を自らしませんよね。

 

だって、楽しいから。

 

 

同じだけの刺激を受けていても

 

自分にとって嫌だと感じるものは

そこで刺激をシャットアウト(離れたり)しますが

 

楽しいことはその刺激をシャットアウトしないので

そのまま刺激を受け続けることになります。

 

なので

「楽しいほうが疲れる」とわたしは感じています。

 

 

嫌なことは誰だってエネルギーを消耗しますが

 

「敏感さの疲れ」って

そういった精神的な疲れとは異なるようにわたしは思っています。

 

 

 

"自分が好きなことをしているときや

ワクワクしているときは

人はほとんど疲れを感じることはない"

 

この思い込みがあったから

 

疲れるということは

好きなことやワクワクしてることではないからなんだ、と

 

自分の好きまでも

疑った時期がありましたし

 

何やっても疲れるから

好きなものが見つからないー!!なんて

嘆くことも多々ありました。

 

 

きのう友人と会って

全力で楽しんでぐったりしたからこそ

 

疲れることは良くないことという思い込みの

最終的な手放しができました。

 

HSPは楽しくても疲れる!

むしろ楽しいからこそより疲れる!

 

疲れることを申し訳なく思ったり

いけないことだとしてしまう自分とは

ここでさよならです。

 

 

あ、

 

わたしがHSS(刺激追求型)で

 

さらに外向的なHSP

(HSPには集団は刺激が多い場ですが

 外向的なHSPは集団のほうが安心する)

 

つまり

 

過剰に刺激を受けやすいのに(HSP)

刺激の多い環境、集団の中にいたり(外向的HSP)

新しいや好奇心のまま刺激を自ら求めてしまう(HSS)

 

であることも大きく関係はしているとも思うので

その点は考慮してくださいね。

 

 

そしてもし、

嫌なことばかりに敏感だと感じるのなら

もしかしたら「境界のもろさ」が関係しているのかもしれません。

 

「境界のもろさ」は生まれ持ったものではなく

たとえもろかったとしても築くことができるものです。

 

境界のもろさについて詳細はこちらをご覧ください

→共感力が高いことと他者との境界線がもろいことは別

 

 

こちらの書籍P149 ちゃんとした「境界」を築くこと

でも触れられていますので参考になさってください。

 

 

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