HSPの書籍が書店で平積みされはじめたのが

たしか昨年の夏前ころだったと思います。

HSPとは

 

HSPの認知が広がることは嬉しい!と

単純に喜んでいたのですが…

 

現在、どうでしょう。

 

認知は広がったと思いますが

あまり望ましくない状態で広がっているように

わたしは感じています。

 

 

先日、

わたしの決心のブログを書かせていただきました。

→迷っていたことと理由と決断

 

その中で

"HSPは被害者の集まりに見える"という言葉も

ちらほらと聞く機会も増えまして…

ということをお伝えしたのですが。

 

今日はそのことについて

書かせていただきたいと思います。

 

 

じつは

このことはこうしてお伝えするまでに

1年ほど迷っていました。

 

"被害者"という言葉は

"HSPでない人はわかってくれない"という気持ちを

作り出してしまうかもしれない

 

それは

 

HSPではない人との間に

溝を作ってしまうことになりそうな気がして

伝えることをためらいました。

 

 

誤解しないでいただきたいのは

"被害者の集まりに見える"とわたしに伝えてくれた方も(仮にAさんとします)

決してHSPを理解しようとしない人なワケではなくて

 

むしろ知りたいからこそ

HSPでない人から見ると

こういった表現はそう映ってしまうよ

それはとても残念だと思う

 

ということを

教えてくださったんですね。

 

 

わたしがこうして

今まで直接的なことを伝えずにきたのは

 

先にあげた

HSPではない人との溝を作りたくないということもそうなのですが

 

HSPの概念の本質をお伝えしていけば

そもそも"被害者的に映る表現"などなくなると信じていたからです。

 

そう思ってこの話は表に出さずに

自分の信じることを伝えてきました。

 

 

でも…

 

わたしは今、1年前の自分の行動を

そうしてよかったとはとても思えないんです。

 

表に出したほうがよかったのかもしれません。

 

残念なのですが

同じようなことを聞く機会が

どんどんと増えてきてしまったんです。

 

 

先日は

 

ますともちゃんが伝えようとしてること

全然伝わってないよ

 

と言われてしまう始末で、

 

本当にごもっともなのですが

自分の無力さにもほとほと嫌気がさしましたし

 

思うところもありましたし

→迷っていたことと理由と決断

 

もうオブラートに包んでる場合じゃない!

と強く思い公にすると決心いたしました。

 

 

ではどういった表現が"被害者的"に映ったのか。

 

「HSPだから〇〇」という言葉です。

 

HSPだから傷ついた

HSPだから苦手

HSPだからできない

 

〇〇だから、という表現って

説明の場合もあると思うので

 

言葉自体の表現が

そう映ってしまったのではないと思うのですが…

 

 

生きづらさの理由にしてしまっていたり

できないことの言い訳にしてしまっていたり

傷つけられたくないための盾にしてしまっていたり

理解してくれないと相手を責めるための武器になってしまっていたり

 

そういった表現が"だから"の前後にあったので

不本意に我慢を強いられている人というか

そうさせられてきた人というか

 

そう感じられるから

"被害者的"に映ったということでした。

 

 

Aさん曰く

 

HSPじゃなくても傷つくのは嫌

でもHSPだから、と言われてしまうと

そちらよりも私たちの方が傷ついて辛いのよ!と

言われているように聞こえなくもないから

どうなの?と引っかかってしまうよね。

こっちも余裕がないと、だから?と思ってしまわなくもない。

きっとそうではないとは思うけど

そう感じてられてしまうから

それってとても残念なことだと思う。

 

とのことでした。

 

ごもっともですよね。

 

わたしが思うのは

「HSPだから」と誰かと比べられる「つらさ」なんて

存在しないよね、ということ。

 

HSPじゃない人が

HSPより傷ついてない、つらくないって

誰が決めるの?と思います。

 

 

わたしはAさんにこう言われたから

HSPではない人の顔色を伺って

そうではないよ、と伝えているのではなくて

 

HSPと知った当初から

敏感さの伝えられ方について疑問を感じていました。

→「HSPだから」なのかな?

 

「HSPであること」(事実)と

「つらい」(感情)ということは別のもので、

「つらい」と感じるのは「捉え方」の問題

 

事実と捉え方は別、というお話で

わたしは根本にこれがあるので

 

HSPであることがつらいんじゃなくて

生きづらさを生んでいるのは

思考のクセやものごとの捉え方だよ、ということを

ずっと伝えてきました。

 

なので個人的には

HSPだから、ではなくて

「わたしがそう感じたから」でよくない?と思っています。

 

 

でも、なかなか…

わたしの力不足で伝えきれなくて

 

「敏感さ」の方向は

どんどん本質から離れていったように感じていました。

 

そのうちAさんだけでなく

複数の方から疑問を投げかけられることも多くなっていきました。

 

 

HSPは思いやりがある、優しい、

心配りができる、というのも

 

わたしたちはそうです、と

自ら言ってしまうと鼻につくこともありますし

 

そこは自分で言うことじゃなくて

人が感じることだとわたしは思うんですね。

 

それに

HSPではない人でも

思いやりがあって優しくて心配りのできる人を

わたしはたくさん知っています。

 

 

HSPだけならうまくいく、といったことも

たまに見かけるのですが

 

一方だけでうまくいくことなんて絶対にありませんし

HSPではない人みんなを否定しているようにも聞こえて

あまり気持ちのよくない思いもします。

 

 

それから

6月7月にあった西日本の災害

 

"HSPにとってはつらい出来事"

 

そういった表現が

周囲にどういった影響を与えたか

どんな思いを抱かせたか想像できると思います。

→HSPだから、ではなくて自分を大切にしてください

→災害があるたびに「HSPだから」というのはもうやめませんか?

 

 

わたしはこのままでは

誰も耳を傾けてくれることは

なくなってしまうのではないか、と怖くなりました。

 

全てを書くことは控えますが

なんでそんな言い方になるの?といった反応も

多いのは正直なところです。

 

 

このことを伝えるのって本当に怖いです。

 

誰かにとって不都合だと感じることを伝えると

裏で批難される世界を見てきたからです。

 

でも

自分たちだけ救われればいいの?と

そう感じてしまう発信も本当に多くて

 

周囲からどう見えているのか

どんなイメージを持たれているのか

 

そのあたりの視点を持つことも

とても大事なことだとわたしは思うんです。

 

 

自分を大切にすることはとても大事です。

 

周囲ばかり考えて

自分を置き去りにしろと言っているのではありません。

 

でも

自分のことだけでなく

周囲からの自分はどう見えてる?

周囲はどんな思いをしている?

 

その視点も大切だとわたしは思う、ということです。

 

 

わたしにこうして伝えてくださった方々は

決して意地悪で言っているのではなく

 

心から気にかけてくださっているからこそ

感じることを伝えてくれているんですね。

 

そして、

これらが一部の人であることも

その声がとても大きく影響をしていることも

 

その他のHSPがそうではないことも

理解してくれていて

温度差があることも知ってくれています。

 

 

前にも書きましたが

HSPならではのことがないとはわたしも言いません。

 

敏感さに間違ったレッテルを貼られ

生きづらさを感じている人が多いことも事実です。

 

でも

 

生まれ持った生きづらさではないことを

そう思い込んでしまっていることを

知ってほしいな、と思っています。

 

そして

 

間違ったレッテルを貼られることがないように

「敏感さ」を知っていただくことは必要だと思います。

 

そのためには

自分たちばかりと受け取られてしまう情報ではなく

もっとシンプルな一方に偏っていないものが

必要になるとわたしは考えます。

 

提示の仕方によっては

思わぬ誤解を招きかねないと思うから。

 

ただ、もっと言えば

 

多様性の社会であれば

少数であることも関係なくなるので

そうなると「敏感さ」を知っていただくというより

先入観や決めつけで判断しないことがいちばん大切だと

わたしは考えています。

 

 

最後に。

 

HSPだから、の話をすると

否定した人と決めつけて

否定してくる人がいるようですが

なんと言ったらいいのか…本当に残念に思います。

 

それよりも

自分の使っている表現が

周囲にどう映るか、

全体のイメージにどう影響しているのか

知ることや自覚を持つことも大切じゃないかな、と思うだけ。

 

そして

 

何かのせいにすることは誰にでもあると思いますし

わたしにだってあります。

 

でも

 

いっとき、そうであることと

ずっとそこにいたり

何かにつけて引き合いに出すのは

また別の話だとわたしは思っています。

 

 

それから

 

このことをお伝えすることは

誰かを傷つけたかったからではなく

 

ここで伝えずにスルーしてしまったら

取り返しのつかないことになってしまうと感じましたし

 

今後「敏感さ」に新たなレッテルが

貼られることのないように

 

自分たち側だけの視点ではなく

周囲からの視点も大切だと思うからこそお伝えしました。