ここ数ヶ月…

もしかしたら昨年の年末あたりから

 

わたし

ずっと同じこと言っていて

同じようなことで迷って悩んで

 

こうしてブログで

決断したことをお伝えしているかもしれません。

 

またか、と思わずに

よろしければお付き合いいただけたらと思います。

 

 

まずは

いただいたメッセージをご紹介させてください。

※掲載の了承を得ています

 

私は、最初HSPを知った時には、

いろいろとうまくいかないことの言い訳にHSPを使おうとしていました。

 

でも、幸運にも、

一番最初に参加させてもらったお茶会で、

ますともちゃんと出会って、その考えが覆りました。

 

今は、HSP気質を武器のように振りかざすのでなく、

自然に自分の中にある特性として、

うまく活かしていけたらなと思っています。

 

ありがとうございます…!

 

嬉しくてボロボロ泣きながら読みました。

 

お茶会に参加してくださってから

その後もありがたいことに繋がってくださっていて

 

わたしが凹んだときや迷っているとき

メッセージをくれたり背中を押してくれたりと

今では大切な友人です。

 


 

わたしは「敏感さ」が生きづらさを生むとは思っていません。

 

生きづらさは

思考のクセやものごとの捉え方から生まれるものです。

→HSPだから生きづらいんじゃない

 

わたしはHSPであると知る前に

うつ病克服のため

自身と向き合わざるを得ない状況にあり

 

思考のクセやものごとの捉え方と

散々向き合ってきました。

 

生きづらさを感じていましたが

HSPと知るころにはそのあたりがすっかり片付いていて

なのですんなりリフレーミングできたのです。

→HSPと知ったことでのリフレーミング

 

ですので

わたしの中には

「HSPだから生きづらい」という方程式は存在しません。

 

 

博士の書籍にも

自尊心の高いHSPとして

生きづらさを感じていない男性が紹介されています。

→敏感さとは恐れるべきものではない

 

 

「敏感さ」は「生きづらさ」とイコールではないのです。

 

 

わたしは開催するお茶会や交流会で

これらを伝えさせていただいてきました。

 

HSPだからつらい、と思っていることを

いけないと言っているのではありません。

 

でも「HSPだから生きづらい」のであれば

どんな対処をしようがその場しのぎにすぎなくて

ずっと生きづらいはずです。

 

敏感さは生まれ持ったもので

一生変わることはない。

 

だからこそ

「HSPだから生きづらい」と思ってほしくない

 

その思い込みが外れたらいい、

そうしたらリフレーミングができる、

そうしたら根本から覆る、

 

そう信じているので

 

思考のクセやものごとの捉え方のお話

それから事実と自分の感情を分けるお話

HSPだからではないよ、ということを

できる範囲で伝えさせていただいてきました。

 

 

ブログやSNSでも

わたしの発信するHSPの情報は

他の人と色が異なるかもしれません

 

HSPはこんな人で

こんな悩みがありますよね、だからこうしましょう

 

というものが多いと思うのですが

わたしはそもそも「HSPだから」と思っていないので

 

「悩み」と「敏感さ」は混同したくないと思っています。

 

もちろんHSPならではのこともないとは言いません。

 

そうではないのに

周囲の人から違うレッテルを貼られる

 

例えば自分の中では

当たり前に気づいていることを口にすると

周囲には神経質に映ってしまい

めんどくさいヤツ扱いをされる…とか

 

「敏感さ」が周囲に誤解され受け取られてしまうパターンは

HSPならではの経験とも言えるかもしれません。

 

でも、そういうものだと知れば

相手にはただそう映っているだけで

自分自身は違うんだから、という視点ができれば

 

相手に「理解してくれない」と腹を立てることもなくなるし

わたしがいけないんだと自分を責めることもなくなるので

生きづらさを感じることもなくなるのです。

 

これがリフレーミングの効果です。

 

わたしは自分自身でその経験をしているので

「HSPだから」としてしまい

自ら生きづらさから抜け出すチャンスを潰してしまうのは

本当にもったいないと思っています。

 

 

ですが

 

わたしは伝えることが本当に下手で

感情で柔らかく語るのが苦手で

理論的でないとダメな理屈っぽいところがあります。

 

だからこそわかりやすいと

おっしゃってくださる方もいるのですが

 

一部の方には

その様子が「キツイ」と映るようで

 

今までも

 

傷つけないでください

攻撃しないでください

敏感だとわかっているのによくそんなこと言えますね

 

そんなメッセージが届くことが

多々ありました。

 

 

悩みに寄り添った伝え方をしたら

もしかしたらこう言ったメッセージも届かないのかも…

 

そう思ったこともあったのですが

どうしても自分の信じることにウソはつけなくて

 

どんなに共感を得られなくても

冷たいと反感を買っても

 

「悩み」と「敏感さ」は

混同せず伝えていくと決めてここまでやってきました。

 

 

でもわたしも強くはありません。

 

嫌われたくない

批難されたくない

 

そういった思いは同じように抱えています。

 

なので

 

あまり直接的な言い回しなどは避けたり

伝えたいことをオブラートに包むというか

どこか遠慮したりしてしまっていました。

 

いや、包めてないから

「キツイ」と言われたりするのか…ははは

 

 

でも

 

そんな自分に違和感を感じて

この世界がとても窮屈に感じて

居心地の悪さを感じてしまいました

 

誰に強要されたものでもありません。

自分でそうしてしまっていることです。

 

でも抜け出すにはとても勇気がいることで

なのでずっと同じようなことで迷って悩んで

決断してはうだうだしてということを繰り返していました。

 

でももうそんな自分は手放したい、と

強く思いました。

 

 

じつは

 

"HSPは被害者の集まりに見える"という言葉も

ちらほらと聞く機会も増えまして

※このことについては誤解をしていただきたくないので改めて記事にさせていただきます

→HSPが周囲にどう映っているのか、その視点を持つことも大事だと思う

 

HSPではない人との温度差とか

 

リアルに会うHSPの方と

SNS上に溢れるHSPの情報との温度差とか

 

なんだかものすごく

このままで大丈夫なのか?と不安を感じていて

 

 

はじめにご紹介させていただいた

メッセージをくれた友人もそうですが

 

お茶会をきっかけに

自分らしく生きているという嬉しいご報告を

数ヶ月後にいただいたりすることが結構あったり

 

わたしは

決してHSPを言い訳にしない

頑張っている方をリアルで知っているので

 

ネットで勝手に言われている情報だけで

そんなふうにレッテルを貼られてしまうことは

本当に残念だし、悲しいし

 

それから

 

これから大人になっていくHSCの子たちにも

こんなイメージを引き継がせたくないと強く思うし

 

だからこそ

 

なんでそんなふうに言われるようになったのか

聞いたこと、わたしが感じたことを

はっきりお伝えするときなのかもって思ったんです。

 

 

それを言うことは

また「傷つけないでください」というメッセージが

わたしのところへ届くことでもあり、

 

なかなか躊躇してしまって

一歩を踏み出せなかったのですが

 

きっかけもいくつかあったので

もうオブラートに包んだり

遠慮して言葉を濁したりすることは

やめよう、って決心しました。

 

本当に伝えたいことが伝わるように。

 

 

わたしは誰もが

自分らしく自分で生きられると信じているので

自分の信じることを今後も伝えていきます。

 

まだまだ未熟ですが

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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