ずっと気になっていたことがあります。

 

HSPやHSCで多く話に聞くのが

 

"このつらさを抱えていかないといけないのか"

"敏感な子はどんな苦労をするのか"

"敏感さは治らないのか"

 

などです。

 

 

"敏感であること"は"つらいこと"だと

どうしてはじめから決めつけているんだろう?

 

 

 

HSPが生きづらさを感じるのは"少数だから"です。

 

わたしもTwitterでこのようにツイートしました。

 

 

博士もDVDの中で

"少数だから"生きづらさを感じるとおっしゃっていますが

 

それは生まれつきの"少数"ということではなく

"少数"であることで経験する"理解されない"というもの

生きづらさの理由につながるとおっしゃっています。

 

"少数"だからといって必ずしもHSPのすべてが

生きづらさを感じているか、といったらそうではないのは

 

環境によって"少数"だとしても

"理解されない"という経験が少ないと

敏感さもひとつの"個性"にすぎず

生きづらさにはつながらないんですね。

 

つまり

生きづらさというのは

生まれ持ったものではまったくない。

 

環境によって後天的に作られるものです。

 

→”生まれ持った敏感さ”と”環境や経験で作られていくもの”

 

 

みんなの学校を観て思ったのですが

困った子や問題児なんて存在しないんですよね。

 

そういう子を作っているのは

大人の先入観や決めつけなんだなって。

 

→「みんなの学校」失敗したらやり直す、安心安全な場所!

 

 

これって敏感な子(人)にも言えるんじゃないかな。

 

敏感であることはつらいことだと

大人がそう決めつけHSCがそう思い込んでしまったら…

 

わたしは

それがいちばん恐れるべきことではないかと感じました。

 

 

敏感であることを「大変ね」と

わたし直接言われたことあるんですね。

 

大変ね、つらくてかわいそう、って。

 

わたしは大人ですし

自分の言葉でそうではないんですよ、と説明できますが

 

子どもだったらどうでしょう。

 

わたしってそうなんだ…と

思い込んでしまう可能性につながる。

 

その方に悪気はないんですよ。

 

でも

 

「大変でかわいそう」という

レッテル貼りになってしまっている。

 

先入観で決めつけられてしまったんですね。

 

 

博士は書籍の中で

レッテル貼りについて何度か書かれています。

 

人見知りについてもそうですし

→決めつけや思い込みは自分で制限をかけてしまうこと

 

内気や内向的というレッテルを鵜呑みにしないでほしい、

とおっしゃっているし

 

怖がり、臆病、ネガティブ

神経質、引っ込み思案、などもそうで

 

間違えて語られてきた(混同され誤解されてきた)HSPという概念(敏感さ)を

偏見でレッテル貼りをしないようにということを強く伝えたいのだと

わたしは理解しました。

 

※それらであることがいけないということではなく

 混同してしまうことがレッテル貼りになるとおっしゃっています

 

 

でもどうでしょうか。

 

敏感であることは

まるで不利なものを抱えてきてしまったかのような

そんな情報を多く見かけますが、

 

それは博士が伝えたかったこととは正反対の

自身でレッテルを貼ってしまっていることになっている

のではないか、と思うのです。

 

 

わたしがそれを危険だと感じるのは

"決めつけ"が起きてしまうから。

 

先ほどの"少数"だからというお話

 

この"決めつけ"は

"少数"だから、に直接つながると考えます。

 

 

大変、かわいそう、苦労する、弱い、つらい

 

混同され誤解されてきた

神経質、臆病、引っ込み思案などもそうですが、

 

そんなイメージでHSPが広がってしまうと

HSPを知っている人は多くなっても

結局"先入観"や"決めつけ"に苦しむこととなり

 

"少数"が感じる生きづらさ、という

なぜ生きづらさを感じるのか、という根本が変わっていないんですよね。

 

"敏感さ"にレッテルを貼らずに

その子の"個性"として周囲が受け止めることが

"少数"でも生きづらさを感じずに成長できることなんですよね。

 

自分と違うからといって

先入観や決めつけ、レッテル貼りや偏見で

その子(人)を判断しないことが

生きづらさを生まない方法だと思います。

 

これはHSC(HSP)に限らず

どんなこともそうなんじゃないかな。

 

 

そして

 

HSP自身が

"HSPはつらい"という決めつけを外さなければ

本当の意味でのHSPの概念は

広がらないんじゃないかとわたしは思います。

 

※たとえ生きづらさを感じたとしても

 自身の思考のクセを知ることで抜け出すことはできますが

 ここでは幼い頃の影響で生きづらさを感じるか

 またはまったく感じない場合を例として書いています。

 

 

今後HSCについても関わっていきたいと思っています。

 

HSCの勉強会に参加したことや

今回の映画みんなの学校を観て思うことは

 

HSCの特性を伝えることも大事だけれど

同じく大事なことは

"敏感さ"にレッテルを貼らないで

ということではないかと。

 

 

敏感であることを

つらいことだと決めつけない

かわいそうだという先入観を持たない

 

そういう大人の意識が

HSCにとって(HSCでない子にもそうですが)

いちばん大切なことだと伝えていくことが

 

最も大切で必要なことなんじゃないかとわたしは考えます。

 

それはHSPにとってもです。

 

 

正直、わたしひとりの力では

どこまでできるかわかりません。

 

ですが、

HSCだからHSPだから、と

傷つかないようにと腫れ物に触るような扱いをされてしまったら

 

それこそ

HSCにとっては自己肯定感を育む上でも

避けることなのではとわたしは考えます。

 

わたしだったら

HSC時代にそんな特別扱いはされたくないな…と思うから。

 

 

非力ですが

微力ながら発信や活動を続けていきます。

 

今後同じ思いを持つ方とつながることができ

この輪が広がっていくことを信じています。

 

 

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