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ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなった。
直接面識はないが、周辺で仕事をしたことはある。




しかし、私にとって一番印象深いのは、トリノ・オリンピックの開会式。




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でも実は、印象深いのはパバロッティではなくって、
歌のクライマックスで放送を打ち切った「NHK」だという説も・・・。



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クララ・今井雅子さん(享年51歳)のお葬式があった。




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雅ちゃんは、幼稚園から高校まで私の弟と同級、
姉の尚ちゃんは、幼稚園から大学まで私と同級、
母親同士は、大の付く親友で、
本当に家族ぐるみのお付き合いだった。




クララは洗礼名だが、ガンが全身に転移して息を引き取る何日か前に、
自ら教会に出向いて、洗礼を受けたのだそうだ。




牧師さんのお話しは、キリスト教の宣伝のようで、
正直あまり感心はしなかったが、
その「教え」は、「やっぱりいいこと言ってるなあ」と感心する。







最後にお母様のごあいさつがあった。




「雅子は、何の取り柄もない子でしたが、・・・・」




そこで、言葉を詰まらせた。




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列席した人全員が、その言葉に「ハッ」とした。




雅ちゃんは、心が優しく、穏やかで、親切で、いつも自分より人のことを考え
人を楽しませるのが得意で、でも芯は強く、くじけない、そんな人だった。




それをお母様は「何の取り柄もない子」と表現した。







4人姉妹の末っ子で、立派な学歴の姉たちとは違い
1人、大学に行かなかった。




結婚も非常に遅く、最初から子供は作らないと決めていた。




人を押しのけて前に出るとか、人を踏み台にして上に行くこととは無縁で、
名を残すようなことは何もしていないし、財産も築いていない。







それでは、人の価値っていったい何なのだろうか。




雅ちゃんの価値は、有名になった人に、劣るのだろうか。
雅ちゃんの価値は、お金をたくさん儲けた人に、劣るのだろうか。
雅ちゃんの価値は、高学歴の人に、立派な子供がいる人に、劣るのだろうか。




お母様は、雅ちゃんの本当の価値を知っているのだ。
そして、それが誰にも劣ることのない、立派なものであることも。




それを表現する最良の言葉が、「何の取り柄もない子」だったのだ。







ご冥福をお祈りします。

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