島暮らし大学生【口永良部島】 -2ページ目

島暮らし大学生【口永良部島】

慶応大学を1年間休学。鹿児島、屋久島の隣にある離島「口永良部島」で一人暮らしをしていた22歳の奮闘記。

今夏は、えらぶの出身の高校生ふーちゃんが就職活動しているという噂を聞きながら、思い切り屋久島で過ごしていましたが、さらに帰りに寄り道をしました。

忘れないうちにいろいろと書きます。
とみーのすけです。

口永良部島の庄二さんは、学生にも、島民にも、役場のひとにも、県庁のひとにも、議員さんにも、決まってしているお話しがあります。口永良部島では、約25年前まで田んぼがありましたが、いまは全て途絶えています。
「この島に、田んぼを復活させる!そうすれば、仕事ができる。仕事があればひとが来る。そのための家をみんなで建てる。そして、できた米を島のみんなで食べる。そうやってこの島は、また元気になっていくんだ!」

ぼくは常々話題に出るようにK.O.E.というアカペラサークルに所属しているのですが、そのサークルが今年20周年を迎えました。ただのサークルではないK.O.E.は尋常じゃないコンサートをしながら、中高の一コマ委託されていたり、陸前高田に歌いに行ったり、ただならぬ活動を展開しています。そのただならぬ具合が相まって、島ペラも実現したんだと思っています。
そんなサークルの20周年イベント「声人式」が8月9日にあり、しっかり感動してきました。ぼくは事前に後輩たちにきたほうがいいよ!と呼びかけをしていく中で、完全に伝説的立ち位置を確保しているGorillaというバンドについてもある程度知っていました。HPもあって、「日本のアカペラの先駆け的存在だったんだな~」とぼんやり思っています。そのなかに「やっさん」という94年入学の先輩がいらして、HPには「Gorillaの女泣かせ担当」と書いてあって、いまどんな姿なんだろうと、うっすら考えつつ声人式を過ごしていました。
すぐに明らかに顔がやっさんという人がいました。しかし、全然予想と違いすぎて、かなりもってかれました。
すごい上から目線な表現で言語化すると、
まず黒い。思ってたより全然黒い。
そして笑顔に重層感がありました。これはサラリーマンにはない重層感。
そして服装が明らかに飾ってない。
正直、ドキッとしました。なんだかとってもはーと。

そして会は進み、いくつもグッとくるポイントがあったのですが、2大感動ポイントは、やっさんのMCとぎゃろさんのスピーチ。
やっさんのMCはGorillaの皆さんがPromiseを歌う前にピアノ伴奏をバックにはじまりました。
まとめると、「キラッキラしてるんですよ」っていうことだったのですが、その「キラッキラ」といってるやっさんが完全にキラッキラしていて、こんなキラッキラしているひとが言ってるキラッキラが、ぼくが20年後にK.O.E.の思い出を振り返った時にも感じれるんだと思ったら、ぼくが無尽蔵にささげてきたK.O.E.への数年間は本当にキラッキラだと思って、心を射抜かれました。そのあとの歌声は、描写しきれません。この人、普通ではないなと感じつつ、二次会へ。
まずやっさんとお話ししたいなとおもい、入ってくるや否や、
「お仕事なにしてるんですか?」と聞いたところ、

「お百姓をしています。」

ノックアウトされました。


ということで、帰りにやっさんのところに行ってきました!!




福岡県糸島市

時間さえあれば島にいっていたぼくは、屋久島・口永良部島以外の自然豊かな環境をあまり知りませんでした。電車で突入した糸島の自然はものすごいインパクト。田園風景がものすごくて、これが本物かと思わせる勢いでした。なんの本物かわからんけど。

声人BOOKを読むと、やっさんの職業は餅屋・養鶏・校長となっていて明らかに3つ目が普通じゃないです。
無人の大入駅に到着し、やっさんが迎えに来てくださいました。子どもたち3人と一緒です。これが全校生徒。10分ほど歩くと、おうちに着きました。道の感じとかはえらぶにそっくりで、建物の感じもえらぶの耐性があったので驚いたりはしなかったのですが、これがK.O.E.の先輩の暮らしかと思うとすごい!久美子さんとも対面して、学校を紹介していただきました。学校はここ。

産の森学舎
というフリースクールで大松家と知り合いのお家の子の3人が通っています。美術の授業や文字と数の授業などなど、基本1日1科目。午後は外で遊ぶ!もうすぐキッチンが整備されて、給食をみんなでつくるらしい。「料理の授業をみんなでできれば、もう数の授業は必要ないかなー。」というやっさん。床でも机でも好きな場所で日記を書いて、掃除をして、さようなら。本当に「学び」と「気づき」にあふれている環境でした。そしてそんな学びと気づきの空間でぼくは一泊寝られるらしい!最高だ!

やすさんと全校生徒で駅に迎えに来てくれました!!



なんと右側が家で、左側の納屋をリノベーションしたのが産の森学舎です。



階段を登り










ものすごく落ち着く空間。

せっかくだからとみーのことを知りたい!と久美子さんの声で、自己紹介タイムになりました。もうこの空間にたどり着いただけでぼくは満足しきってしまって、あとは自分の話をするだけの気分になってしまった気がしてすごい後悔してます。

えつしくんと野球をし、マクロビのおやつを食べて、やすさんに田んぼを見させてもらいました。自然農法ってネットででてきたので妄想はしていましたが、おもしろい!
えらぶの庄二さんが気になっていた一本植えだったり、水路の感じとかもすごい自然!(軽薄なまとめしかできていない。)



ぼくが六本木中学校に通っていた頃六本木ヒルズで働いていたらしいやすさんは公認会計士への道のりを転換し、7年前ぐらいに農家に。






糸島によって帰ると言ったらえらぶのゆうこさんが、長年の付き合いの夫婦が糸島にレストランをつくったっていってたから、といって住所を教えていただきました。糸島バール シャナ。その話をやすさんにしたら、夜ご飯の場所がそこになりました!ということで田んぼから直行。
早速ご挨拶して、とっても優しい笑顔なおじさんとおばさんで、えらぶ通いも納得!なんと庄二さんの前のお家、今の森さんのお家で結婚式をあげたらしい!笑
ぼくが散々飲みに行っていたあの場所が、結婚式の場所だったとは、さすがに濃厚すぎる。
サラダをごちそうになり、とても美味しくいただきました。奥さんの方はお餅が本格的に好きらしい。




翌日、お餅つきをしてくださる!!!!!ということで夜からお米を洗ったりやすさんは仕込みをし、お風呂に入り、子どもたちが寝ている間、ろうそくの明かりで、三岳を飲みながらお話をしました。




大松家は、あらゆる面で、余分なものをそぎ落として、最もシンプルな姿を洗い出してから、やり方や使い方、食べ方を考える生活をしていました。
食器はもちろん洗剤を使わないアクリルたわしで、
蚊がすごいから蚊帳のなかで寝るし、
整体師さんのアドバイスに基づいて何も敷かずに寝る!しかもみんなぐっすり!
お風呂も、湯船のみ。子どもたちはお湯を大切に使いながらお湯だけでごしごし体を洗う。

えらぶでもそういった生活をしている人はいるけれど、それを体験したことはなくて、想像以上に刺激されてしまった。帰ってからも、エレベーターに乗り、構造もわからない鍵を開けて、せっけんでごしごし洗い、電動歯ブラシで歯を磨き、ふとんの上で寝て、「おしりマルチフィット」とか書いてあるトイレを使っている自分を自覚できた。

さてさて、ぐっっすり学校で寝たあと、7時前に目が覚めました!起きて庄二さんの文章を渡そうとパソコンを開きながら、100%えつしくんがくるだろうなとおもっていた10分後ぐらいにえつしくんが登場し、遊ぶ。とてもおいしいお味噌汁とご飯をいただき、いざ餅つき!






子どもたち主導のもと、まきを燃やす!もち米用と、いろいろと使うためのお湯を沸かし続ける用。
「餅つきの段取りが一通りできれば、火の使い方や水の使い方やら何まで、だいたいわかるようになる」
というやすさん。





ふーふー!

途中で、薪で木琴をつくりはじめ、「これトトロのうた!」といって才覚を発揮し始めるたまきちゃんと、





朝のチャイムのエーデルワイスが音程完璧なえつしくん、



そして、餅をつくお母さんの背中で熟睡するはやとくん。



やすさんは返してコネる技術が希少価値が高いらしく、地域でひっぱりだこらしい。
せいろ4段で全部で8キロを本気でつきました。

玄米餅で、すごいおいしい。醤油とのりでパクッとたべる。
こないだの久木山運送の不法投棄物撤去を越す、今年一番の筋肉使用でしたが、おひるにさぬきうどん!
大松家の卵で、左がいつもの色で、右がピーマン食べさせた色らしい。




温泉に行き、お餅をくばりながら、空港まで連れて行ってくださいました!
帰っちゃうのつまんない、っていう感じですねるえつしくんに手を振りながらさよならしました。

一泊だけの短い期間でしたが、KOEのことやSFCのことや家族や子どものことをたくさん考えました。やすさん家みたいな無駄なものをそぎ落とした生活は逆に視野が広くというか、いろんな余分なものが見えるがゆえにできることだなと強く思いました。当たり前にあるものを疑いながら、本質を紡ぎ出してつくってい生活、そしてそれを存分に吸収する子どもたちをみて、より一層結婚意欲が湧いています。大松家の子どもたちと触れ合って、何を思ったって、「彼らにプレゼントがしたい!」とか「彼らに手遊びを教えたい!」みたいなこと。彼らは必要最低限の道具を与えられて、彼らが見つけ出したものか考え出したものだけで遊びを作っていると思うんですが、だからこそ、彼らの好きなことや嫌いなこと、うれしいことやつまらないことがストレートに伝わってくるし、それに対してストレートにプレゼントをしたい。目に見えて喜んでくれる様子が浮かびます。彼らの思考の延長線上に飾りを添えるプレゼントをしたい。金額とか派手さに惑わされない物事の楽しさをきっと彼らは知ってるんだと思う。都会で不思議に大人びてしまった小学生たちにはない感性がびっしり備わっている気がします。



庄二さんが、「何が大切で、何が大切じゃないか、何がしていいことで、してはいけなことか、しっかり自分で見極められるようにしなきゃいけない」とよくおっしゃっていますが、とても当たり前のことのように見えて、用意された環境や選択肢が多すぎるこの社会でそれを体現するのはかなり難しいです。でもその一角を僕は口永良部島で学んだし、K.O.E.でも学びました。今回の出会いもこれがK.O.E.であったことが何よりもうれしいことです。

やすさん、くみこさん、たまき、えつし、はやとに大感謝です。また行きます!


すずしーーーーーーーーーい!
秋か!これだったらもうちょっと髪の毛のばしててもいいかな!いや刈るかな!

冨永真之介です。
人生で、17回目の夏休みだったようです。夏休みの過ごし方は、2年前ごろまで年々計り知れなく密度を増してきていて、その後落ち着きを見せていますが、濃度はどんどん増しています。17年前に夏休みに何をしていたか全く思い出せませんし、きっと言葉にすれば小さくてシンプルなことばかりやっていたと思います。ただ、どんなに些細な遊びに対しても、全力だったのかなと思います。その意味で、濃度はもしかしたら同じです。全力における、想い、信頼、責任、過ち、お金、対話など数え切れない要素の器は、いい意味でも悪い意味でもどんどん大きくなっていて、それが成長を感じさせます。

さてさて、8/11~9/4まで屋久島にいました。
ついについに口永良部島の皆様にアカペラを披露しました。
そんな今回の島ペラのメンバーは
卒業生の、
青木優莉
坂尻愛明
中川晃輔
現役K.O.E.の、
印南隼毅
此下千晴
蝶々の研究をしている、
有賀淳
の6名と僕の7名です!




 もともとは去年の口永良部島夏祭りで、ステージで歌う予定だったんです。
 去年の夏前にみんなにどうにかこうにか予定を合わせてもらい、島での夏祭り実行委員会に紙も出して、想いのたけを伝えて、ポスターに乗せてもらったことは、ずっと忘れません。その時のドキドキと夢にしか出てこなかったイメージが実際に実現する準備が整ってしまったワクワクは永遠かと思います。みんなが泊まることになっていた口永良部島のシェアハウスの草刈りをしに、歩いていた8月3日に噴火が起き、屋久島に避難。夏祭りも延期になり、アカペラはできなくなりました。そんな中でも僕のことを心配しつつ、屋久島を堪能しに来てくれたみんなと、いろんなところで歌いました。役場の内田さんやよろん坂の明美ちゃんを始めとして、いろんな方にお世話になりながら、信じられないぐらい充実した屋久島の旅になってしまい、ひと段落つきながらも、口永良部島でアカペラという妄想は、ここでついえていいものかとずっと悩んでいました。
 そして今年の6月28日ぐらいに、青木さんが夏休みをとると言い始めて、「ならば」と当たり前のようにお願いして、企画。かなり時間のない中で、準備を進めました。
 なんでこんなにモチベが高かったのか振り返ってみれば、披露しないという選択肢がありえなかったことが一番大きいけれど、アカペラを聞いてもらいたいし、口永良部島のひとの歌をKOEのみんなにも聞かせたかったのはでかい。勝手に、連れて行きたい学生と、時間に余裕がありそうな卒業生に声をかけて全員即OKしてくれたので、この時点でほぼ準備が整う。スタジオで3回ほど練習して、あとは屋久島集合でした。

1日目
みんな到着
仮設訪問
よろん坂
川→複数名転倒
ごはん
ロケットみる
練習

2日目
太忠岳登山
風呂
練習
内田家
つみれ鍋by中村さん!
練習




すでに充実しすぎていたんですが、去年とのちがいは口永良部島の方々に歌うことが主目的だということ。そしてその口永良部島が今は屋久島にあるということ。これを歌いに来たみんなが実感をもって歌える状況を作らないと意味がないなというのが懸念でした。そこで電話したのが貴舩庄二さん夫妻のところ。三日目の昼間に会いに行かせていただけるとのことでした。もともと、二人のところに、優莉、中川の二人が会いに行って、ゆうこさんから「◎」をいただき、「仲間」というのものの大切さを深く胸に刻んで、えらぶでアカペラがしたいとおもい始めたのが島ペラのきっかけ。そんなお二人のところに会いに行けることはうれしいことでした。そんな三日目。

宮浦小学校ワークショップ
有賀合流
ライスラタセ
貴舩家訪問
風呂
散歩亭
練習



宮浦小学校では、先生方のポジティブ(笑)な予想と準備の元、進めてくださっていましたが、いざ参加者が、くる、のか、という感じのなかで青木さんが本領発揮して参加者確保。先生たちも参加してめちゃめちゃいい時間になりました。子どもたちは無敵だなと再確認。
こう言葉にするとあっさりしているんですが、この間にみんなの喉と体力は少しずつ蒸発しつづけていました笑
ただあいらだけどんどん元気になっていくみたいな。
貴舩家では一人当たり30分ぐらいの自己紹介タイムになりました笑
なかなかお互いについて真面目な話をすることも少ないなかで、お互いのことをよく知りました。そして有賀が大学院生みたいで笑った。
そしてついに4日目、口永良部島の方々にアカペラを披露する時です。




練習
仮設住宅コンサート
休憩
屋久島ベースコンサート
飲む
花火する
しゃべる
朝になる



仮設住宅には13名ぐらいの方々が。関口家のお二人は、仮設は人数が少ないかもと思ってきてくださったようです。それなりに口永良部島にきてくれたメンバーも多かったので、それをベースにMCしつつ楽しい時間が流れていきましたが、 少しずつ島の方々の目に涙が。ハナミズキを歌い、花は咲くを歌い。花は咲くはデモクラッツではやきが歌ったことがあったらしくMCをしてくれました。はやきは12のなかでも唯一一個下って感じがして好んでいるんですが、その本質みてそうでみてなさそうでみたいな感じが彼の味だとおもいます。僕らには島の方々の悲しさや寂しさや悔しさは理解しきれませんが、それでも歌いたい歌があるようです。花は咲くはなかなか忘れられない曲になりました。島に住んでいた時も、K.O.E.ばかりやっていたときも、ロゴスで働いていても、僕は相手の気持ちを全然わかっていなくて、後になって驚いたり、申し訳なくなったりすることがたくさんありました。今回、別になにかまずい気持ちになったことは決してありませんが、島の方々の気持ちが揺れ動いていることを知ることができたのもまた、島ペラのみんなのおかげです。

すこし休んで、次なるラストステージ屋久島ベースです。仮設住宅には大体半分ぐらいの人がいて、もう半分は空き家提供のあった住宅に点在しています。その方々向けに屋久島ベースという場所を借りてコンサートをすることに。
この回が、僕のなかでは一番の山場でした。お世話になった方々がたくさんくるからです。ずっと場所に悩んでいて、最終的に役場管理の離島センターかなーでも殺風景だなーと悩みながら、決めきれずにうだうだしていました。そこに、口永良部島これから研究室に竹之内さんという方が来てくださって、この方が屋久島ベースの住人。屋久島ベースは、子どもからお年寄りまで、気軽に集まれるコミュニティスペース構築中の場所で、子どもたちのアイディアを限りなく実現した結果、回転扉や地下室やら秘密基地ができつつあります。世田谷ベースを屋久島につくりたいらしい!
お家に招待されて、なにより、ものすごく開けた古民家で、入った瞬間、ここだ!!!!!!!!!!!!!となりました。
SFCはなじみのあるごんぱちでずっとコンサートできるんじゃないかと思っていたのですが、まさにごんぱちみたいな空間。ここだ!!!!!
ということで無理を言ってお願いしました。








30分前から来場者がきてくれて、最初の方からどんどん来るとは思っていなかった方々が来てくださいました。増永さんや安永さん、そしてずっと向こうにさっきから観光客のひとが座ってるなーとおもっていたらそれがえいいちろうさんたち!なんと屋久島の方々も栄一さんの誘いの元、来てくださいました。全部で35人のお客さん。想像以上の賑わいになりました!!
アドレナリン放出しながら歌いました。
おおー。とか
ふー!とか
言ってもらえてとてもうれしい。
怒涛のごとく、このコンサートが実現してしまって、いまさらえらぶの方々に何を伝えようか、その場で考えながらのMCになってしまい、いろいろと反省。
ただ終わった後、ある程度の熱意は伝わっていたようで安心しました。
屋久島ベースで飲み、そのあと、栄一さんの兄貴分のこうすけさんのご自宅でさらにカラオケまでやらせてもらいました。
「栄一さんの歌をアカペラのみんなに聞かせるのが半分ぐらいの目的なんですよね」
「そんなハードルあげんな!!!」
っていう何週間か前の会話をしっかり覚えていてくれる栄一さんが最高でした。





去年とは違う気持ちがどこかにはあって、それをずっと考えながらの5日間だったし、今なのですが、そして当然去年とはみんなの状況も違うしそれぞれの人生を明確に歩み始めているところだし。気づいたのは僕は、学生に戻って、やはり学生としてやりたいことを考えていたのかなと思う。では去年はといえば、僕は島暮らし中だし、運送会社で働いてた。何をどう恩返しするかといえば、「夏祭りを最高にカッコ良くすること」が頭に浮かんでいて、それは明らかに僕がエゴだけれども島のためにできることだったと思う。
ただ、今の状況は口永良部島は被災地。そもそもトップクラスに人間力と生命力を保持しているえらぶの人たちが励まされる構図自体が変なのだ。そしてやっぱり歌ってみれば、これが支援でも応援でも励ましでもない、お互いの純粋な「出会い」と「刺激」の時間だった気がする。すごくフェアだった。だから最高に楽しかった。新聞記者にはなんだか言葉が上滑りなことをしゃべってしまったけれど、本当にかけがえがない時間だったとおもいます。つまるところ、言いたいことは、やはり5年後ぐらいに「夏祭り」かな!というところです。では!


口永良部島ふるさと支援プロジェクト

ここまで、地方テレビ・新聞コラム寄稿・大学公式サイト・SFCクリップ・塾内冊子などなどたくさん取材してくださいました。

こういった支援という名の下に募金活動をするのははじめての経験ですが、かなりがんばっています。やはり、単純にただただ支援、募金、とはいかないわけで、ものすごいメンバー同士で話し合いました。そしてものすごい働きかけることの大切さも学んでいます。そして、村井研・長谷部研・池田研そして下村健一先生の協力もいただきながら日々格闘しております。

エール
アイディア
お金

の3つの軸ですすめていますが、これはどんな方でも応募可能です。ぼくから口永良部島の話を聞いたことがある方、来てくれた方、みなさんの協力が本当に必要です。

口永良部島ふるさと支援プロジェクト


8月にはアカペラを画策中。

協力お願いします!