【口永良部島】口永良部島の皆さんにアカペラを歌ってきました! | 島暮らし大学生【口永良部島】

島暮らし大学生【口永良部島】

慶応大学を1年間休学。鹿児島、屋久島の隣にある離島「口永良部島」で一人暮らしをしていた22歳の奮闘記。

すずしーーーーーーーーーい!
秋か!これだったらもうちょっと髪の毛のばしててもいいかな!いや刈るかな!

冨永真之介です。
人生で、17回目の夏休みだったようです。夏休みの過ごし方は、2年前ごろまで年々計り知れなく密度を増してきていて、その後落ち着きを見せていますが、濃度はどんどん増しています。17年前に夏休みに何をしていたか全く思い出せませんし、きっと言葉にすれば小さくてシンプルなことばかりやっていたと思います。ただ、どんなに些細な遊びに対しても、全力だったのかなと思います。その意味で、濃度はもしかしたら同じです。全力における、想い、信頼、責任、過ち、お金、対話など数え切れない要素の器は、いい意味でも悪い意味でもどんどん大きくなっていて、それが成長を感じさせます。

さてさて、8/11~9/4まで屋久島にいました。
ついについに口永良部島の皆様にアカペラを披露しました。
そんな今回の島ペラのメンバーは
卒業生の、
青木優莉
坂尻愛明
中川晃輔
現役K.O.E.の、
印南隼毅
此下千晴
蝶々の研究をしている、
有賀淳
の6名と僕の7名です!




 もともとは去年の口永良部島夏祭りで、ステージで歌う予定だったんです。
 去年の夏前にみんなにどうにかこうにか予定を合わせてもらい、島での夏祭り実行委員会に紙も出して、想いのたけを伝えて、ポスターに乗せてもらったことは、ずっと忘れません。その時のドキドキと夢にしか出てこなかったイメージが実際に実現する準備が整ってしまったワクワクは永遠かと思います。みんなが泊まることになっていた口永良部島のシェアハウスの草刈りをしに、歩いていた8月3日に噴火が起き、屋久島に避難。夏祭りも延期になり、アカペラはできなくなりました。そんな中でも僕のことを心配しつつ、屋久島を堪能しに来てくれたみんなと、いろんなところで歌いました。役場の内田さんやよろん坂の明美ちゃんを始めとして、いろんな方にお世話になりながら、信じられないぐらい充実した屋久島の旅になってしまい、ひと段落つきながらも、口永良部島でアカペラという妄想は、ここでついえていいものかとずっと悩んでいました。
 そして今年の6月28日ぐらいに、青木さんが夏休みをとると言い始めて、「ならば」と当たり前のようにお願いして、企画。かなり時間のない中で、準備を進めました。
 なんでこんなにモチベが高かったのか振り返ってみれば、披露しないという選択肢がありえなかったことが一番大きいけれど、アカペラを聞いてもらいたいし、口永良部島のひとの歌をKOEのみんなにも聞かせたかったのはでかい。勝手に、連れて行きたい学生と、時間に余裕がありそうな卒業生に声をかけて全員即OKしてくれたので、この時点でほぼ準備が整う。スタジオで3回ほど練習して、あとは屋久島集合でした。

1日目
みんな到着
仮設訪問
よろん坂
川→複数名転倒
ごはん
ロケットみる
練習

2日目
太忠岳登山
風呂
練習
内田家
つみれ鍋by中村さん!
練習




すでに充実しすぎていたんですが、去年とのちがいは口永良部島の方々に歌うことが主目的だということ。そしてその口永良部島が今は屋久島にあるということ。これを歌いに来たみんなが実感をもって歌える状況を作らないと意味がないなというのが懸念でした。そこで電話したのが貴舩庄二さん夫妻のところ。三日目の昼間に会いに行かせていただけるとのことでした。もともと、二人のところに、優莉、中川の二人が会いに行って、ゆうこさんから「◎」をいただき、「仲間」というのものの大切さを深く胸に刻んで、えらぶでアカペラがしたいとおもい始めたのが島ペラのきっかけ。そんなお二人のところに会いに行けることはうれしいことでした。そんな三日目。

宮浦小学校ワークショップ
有賀合流
ライスラタセ
貴舩家訪問
風呂
散歩亭
練習



宮浦小学校では、先生方のポジティブ(笑)な予想と準備の元、進めてくださっていましたが、いざ参加者が、くる、のか、という感じのなかで青木さんが本領発揮して参加者確保。先生たちも参加してめちゃめちゃいい時間になりました。子どもたちは無敵だなと再確認。
こう言葉にするとあっさりしているんですが、この間にみんなの喉と体力は少しずつ蒸発しつづけていました笑
ただあいらだけどんどん元気になっていくみたいな。
貴舩家では一人当たり30分ぐらいの自己紹介タイムになりました笑
なかなかお互いについて真面目な話をすることも少ないなかで、お互いのことをよく知りました。そして有賀が大学院生みたいで笑った。
そしてついに4日目、口永良部島の方々にアカペラを披露する時です。




練習
仮設住宅コンサート
休憩
屋久島ベースコンサート
飲む
花火する
しゃべる
朝になる



仮設住宅には13名ぐらいの方々が。関口家のお二人は、仮設は人数が少ないかもと思ってきてくださったようです。それなりに口永良部島にきてくれたメンバーも多かったので、それをベースにMCしつつ楽しい時間が流れていきましたが、 少しずつ島の方々の目に涙が。ハナミズキを歌い、花は咲くを歌い。花は咲くはデモクラッツではやきが歌ったことがあったらしくMCをしてくれました。はやきは12のなかでも唯一一個下って感じがして好んでいるんですが、その本質みてそうでみてなさそうでみたいな感じが彼の味だとおもいます。僕らには島の方々の悲しさや寂しさや悔しさは理解しきれませんが、それでも歌いたい歌があるようです。花は咲くはなかなか忘れられない曲になりました。島に住んでいた時も、K.O.E.ばかりやっていたときも、ロゴスで働いていても、僕は相手の気持ちを全然わかっていなくて、後になって驚いたり、申し訳なくなったりすることがたくさんありました。今回、別になにかまずい気持ちになったことは決してありませんが、島の方々の気持ちが揺れ動いていることを知ることができたのもまた、島ペラのみんなのおかげです。

すこし休んで、次なるラストステージ屋久島ベースです。仮設住宅には大体半分ぐらいの人がいて、もう半分は空き家提供のあった住宅に点在しています。その方々向けに屋久島ベースという場所を借りてコンサートをすることに。
この回が、僕のなかでは一番の山場でした。お世話になった方々がたくさんくるからです。ずっと場所に悩んでいて、最終的に役場管理の離島センターかなーでも殺風景だなーと悩みながら、決めきれずにうだうだしていました。そこに、口永良部島これから研究室に竹之内さんという方が来てくださって、この方が屋久島ベースの住人。屋久島ベースは、子どもからお年寄りまで、気軽に集まれるコミュニティスペース構築中の場所で、子どもたちのアイディアを限りなく実現した結果、回転扉や地下室やら秘密基地ができつつあります。世田谷ベースを屋久島につくりたいらしい!
お家に招待されて、なにより、ものすごく開けた古民家で、入った瞬間、ここだ!!!!!!!!!!!!!となりました。
SFCはなじみのあるごんぱちでずっとコンサートできるんじゃないかと思っていたのですが、まさにごんぱちみたいな空間。ここだ!!!!!
ということで無理を言ってお願いしました。








30分前から来場者がきてくれて、最初の方からどんどん来るとは思っていなかった方々が来てくださいました。増永さんや安永さん、そしてずっと向こうにさっきから観光客のひとが座ってるなーとおもっていたらそれがえいいちろうさんたち!なんと屋久島の方々も栄一さんの誘いの元、来てくださいました。全部で35人のお客さん。想像以上の賑わいになりました!!
アドレナリン放出しながら歌いました。
おおー。とか
ふー!とか
言ってもらえてとてもうれしい。
怒涛のごとく、このコンサートが実現してしまって、いまさらえらぶの方々に何を伝えようか、その場で考えながらのMCになってしまい、いろいろと反省。
ただ終わった後、ある程度の熱意は伝わっていたようで安心しました。
屋久島ベースで飲み、そのあと、栄一さんの兄貴分のこうすけさんのご自宅でさらにカラオケまでやらせてもらいました。
「栄一さんの歌をアカペラのみんなに聞かせるのが半分ぐらいの目的なんですよね」
「そんなハードルあげんな!!!」
っていう何週間か前の会話をしっかり覚えていてくれる栄一さんが最高でした。





去年とは違う気持ちがどこかにはあって、それをずっと考えながらの5日間だったし、今なのですが、そして当然去年とはみんなの状況も違うしそれぞれの人生を明確に歩み始めているところだし。気づいたのは僕は、学生に戻って、やはり学生としてやりたいことを考えていたのかなと思う。では去年はといえば、僕は島暮らし中だし、運送会社で働いてた。何をどう恩返しするかといえば、「夏祭りを最高にカッコ良くすること」が頭に浮かんでいて、それは明らかに僕がエゴだけれども島のためにできることだったと思う。
ただ、今の状況は口永良部島は被災地。そもそもトップクラスに人間力と生命力を保持しているえらぶの人たちが励まされる構図自体が変なのだ。そしてやっぱり歌ってみれば、これが支援でも応援でも励ましでもない、お互いの純粋な「出会い」と「刺激」の時間だった気がする。すごくフェアだった。だから最高に楽しかった。新聞記者にはなんだか言葉が上滑りなことをしゃべってしまったけれど、本当にかけがえがない時間だったとおもいます。つまるところ、言いたいことは、やはり5年後ぐらいに「夏祭り」かな!というところです。では!