親友と初旅行
あと1年で
親友と友達になって30年
親友は3姉妹のママだし
独身時代は門限とかもあって
旅行なんていくことも出来なかったけど
企画たてるの下手だけど
マイマミーに予約やらなんやら
やってもらい実現しました
中年にもなって
母に手伝ってもらっての旅行
企画計画たてるの下手くそでねー
近場の熱海に
熱海でさつま揚げを2つも買って食べちゃったり
夕飯食べた後なのにお菓子の買い出しに暗い!怖い!ってキャーキャー言いながら買い出し行ったり
ホテルで小腹すいたら食べようって買いあったお菓子すぐ食べちゃったり
朝ご飯美味しかったーお腹いっぱいていってるのにチェックアウトぎりぎりに熱海プリンを買いに行っちゃったり
波長がここまであうなんて
熱海のあとに
小田原で降りようって
いってたのに
なんかこのまま電車にのってたくなり
結局横浜戻ってきて
すしざんまいで寿司して
悪ふざけで同級生の男子で優しい横浜に住むふわちゃんを呼び出すことに成功
結婚してください!
とあたしがいったら
ノーセンキューとのことで
仕方ないから
頭をいーこいーこするように所望したら
ゴム手袋か軍手が必要と言われ
3人で初プリです
ちちしす
実父が
先日
他界いたしました。
何度か書きかけて辞めて
全然まとまりませんでしたが
ダラダラ長くしてしまい面白くもないので
サクッと
父はこの世にはいないのね
という感想?気持ちのみです
血が繋がった他人というのかな
お互いを選んで親子になったわけじゃないから
理解出来なかったり、お互い理解しようとせず
蓋をしてきた
本当に全く悲しくなくって 困ってます
母からは強がって…みたいに
言われましたが
まじでがちで
ない。
嫌いな父の血もあたしにも弟にもしっかり流れていて
父に似てる箇所は色濃く私達の中身、外見ともに反映されております。
血って怖い。
あたしは
結婚に向いてないし
子供産めないし
弟も結婚を諦めつつあるから
父の血の濃さはここにて終わりそうです。
父の中身や考えは
比較的、親交のあった弟でもわからないそうで
1度は添い遂げたいと思った母に聞くも
わからないそうで
·外面は良い
·短気
·買い物好き
位しか分からない
父の元伴侶と子供
それが父の人生に深く関わってきたはずのあたし達
そんな風になりたかったわけじゃないはずなのに
父の生き方は否定したいわけじゃないが
父の立ち振舞いを反面教師に生きようと思った。
父からのギフトは押しの強さで母をゲットしたこと。
絶対父よりいい男はいつの時代もいただろうし
若き日の母は可愛かったのに
父を選んでいなければあたしと弟は存在しない。
あたしたちに素晴らしい母をくれたというのは
最大のギフトだ。
そこのみしか
感謝がないです。
父から愛されたかったときもあったけど
それは実際の父というより
理想の空想の素敵なパパというのが欲しかっただけなんだなと年を取ってから判明しました。
さようなら
Happy Birthday to ME
はい
3月3日で ついに41歳になりました。
早いなぁ
ついこないだ性転換したーとか思ってたけど
もう丸13年
なんか
30から40ジェットコースターみたいだったところ
41歳ですね
もう若手じゃない…どの分野でも
誕生日当日は彼と
はじめて一緒にいました
リビングのテーブル
10年使ってて
ベコベコになったまま使い続けてたので
彼の姪っ子ちゃんが春から1人暮らしするから
その家具を見に一緒に行ってた時にあたしが珍しく欲しがってたのを覚えててそれをくれました
↑このテーブルです
比較的大丈夫なように撮ったはずなのに
片付いてないだろう部屋というのがバレる写真
昨年から
あたしのことを想ったプレゼントが欲しい!とねだってて
あたしはどうでもいいものは壊れて仕方なしに買い替えるまで使い続けることを知ってるから
新しいテーブル嬉しい
そしてドレッサーテーブルなのでミラーもついてるのでありがたーい
結婚しなくても独身でも友達少なくても
色々障害あって面倒くさいことも多々ありながらも
あたし幸せです
生きてて良かった
母の子で良かった
この人生で良かった