三月になった。
まだ肌寒いけどもう春。
降り続いた雨に裏の沢は水があふれて元気よく流れ落ちている。
せせらぎの音はいかにも春にふさわしい。
そしてこの志貴皇子の歌を自然と口ずさみたくなってくる。

 石ばしる垂水の上のさ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも

志貴皇子は天智天皇の子だったので、天武王朝ではきわめて難しい立場だった。
そのため政治的には冷遇され、ただ万葉集に6首の歌を残しただけで終わっている。

 采女の 袖吹き返す明日香風 都を遠みいたづらに吹く

都が藤原の宮に移ってすっかり荒れ果てた明日香の宮にはただ風が吹くばかり・・・。
きっと志貴皇子は明日香の宮だけでなく、大津宮のことも思っているのだろう。

 葦辺ゆく鴨の羽交に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ

難波の宮でここでも志貴皇子はひとり大和を思う。
さらにはきっと、寒い大津を琵琶湖の葦や鴨を思ったことだろう。
しかし大津宮のことを歌うわけには行かない。

 むささびは木末求むとあしひきの山の猟師に逢ひにけるかも

不満を持ちながらもただひたすら耐えて生きていく。
少しでも不満を悟られるとたちまち粛清されてしまう時代だった。
 
こうして志貴皇子は用心深く生きそしてひっそり死んで行った。
その葬式にはたくさんの参列者が集まったが、すぐに忘れられてしまい、墓への道も荒れ果てた。

志貴皇子の死を悲しんで歌った笠金村の歌。

 高圓の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
 御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに

こうして志貴皇子は不遇なまま死んで行った。
しかしその思いは子に、孫に伝わった。
子は光仁天皇として即位し、孫の桓武天皇は平安に遷都して新しい時代が始まった。

春になると思う。
志貴皇子の歌を。
清涼な輝きに満ちた歌を。

 石ばしる垂水の上のさ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも