会社の傍に刀剣屋さんがあるんですが、用事があって行ってみてるんですが、
最近なかなか開いてない‥‥。商売成り立ってるんか?
神戸金毘羅さんに行ったときは開いてたんだけどなぁ?
実は脇差(小刀)を一振り持ってるんですが、どうも登録してないんですよ。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
元々高祖父とかその前から伝わったものらしいんですが、
法的なこととか考えない人たちだったのね、多分。
こぐが銃刀法違反で捕まったらどうしてくれる!?
なので、登録をお願いしようと思って。
あと、こぐ父が子供の頃、チャンバラ遊びに使いまくったり(超危ない!)、
一斗缶を切るのに使ったり(超もったいない!)したので、
刃がこぼれてたり、鞘や柄がボロボロなんで、研ぎと拵え一式頼んでみようかと。
多分10万は軽く超えるでしょうが(別の脇差買った方が安いかも)、
何分先祖から伝わったものっていうんで、そういうわけにもいかず。
きちんとした状態で、次の世代に渡したいなって思ったわけです。
怪獣は下の小僧の家を継いじゃうので、上の小僧のところの末っ子(長男)かな?
一応こぐの苗字を継いでますからね。桓武平氏江戸氏の姓と刀でセットで渡すつもりです。
ともあれ、様子見てまた行ってみます。電話しても出ないのよ。
空振りしたお店の帰りに湊川神社へ。
楠公さんの墓所です。小楠公の墓所は伊丹にもありますね(四条畷が有名かと)。
でも楠公さんが忠臣って再認識されたのは結構最近らしいよ?
ここの墓碑は水戸黄門徳川光圀がつくったものですね。
光圀公はお父さんの指示で、お兄さんが継ぐべき水戸藩を継いだり、
その代わり自分の長男をお兄さんの養子にしてもらって、
自分はお兄さんの長男を養子にして、長子の順、伯夷叔斉を改めたりしたとのことで、
とても保守的な人だったんでしょうね。
(伯夷叔斉ってのは大昔の隣の国の兄弟ですが、
王様であるお父さんの指示で、弟が継ぐことになったという故事があります)
本殿の裏手にある、楠公殉難の地。単にいえば戦没の地ね。
南朝側に尽くしたという点から見れば殉難でしょう?
源氏(足利氏は清和源氏の出です)に橘氏が敗れたという見方もあるようです。
まあ、新田も足利氏と8代前が兄弟という同族ですけどね。
因みに新田の祖先が長男、足利の祖先が次男ですね。
こっちは、長子の順を改めなかったんだなぁ。
新田氏は、何度も自分たちが正統といったらしいので、それも南北に分かれた一因かも?
ここに古びた廃屋があって、新田郡の退却により、
陣を敷いていた会下山から、ここまで逃れてきた楠木一党70余名が腹を切ったんだそうです。
湊川合戦は、生田の森から須磨までが戦場といわれてるので、ものすごい広範囲ですね。
200余年後に織田と荒木が、またここで戦火を交えるとは知る由もなかったでしょう。
ん~今日も暖かいらしい。
気が重い仕事が何件かあるけど、責任者なんでしょうがない。
よっこらしょと頑張りますかぁ。



