幕張の長靴おじさん
戸村です
昨日、赤い鳥のいる風景を見てからテンションがおかしいです。
高いわけでもなく低いわけでもなく
観終わった直後より、じわじわとその存在感を感じます。
別れた彼女のその後が気になっちゃうアレですね。
ブログとかツイッターとかフェイスブックとかやっていようものならチェックしてしまう。
僕の思春期にSNSがそれほど浸透していなくて本当に良かったと思います
赤い鳥の話に戻りますが
先程ロードワークをこなしながら考えてみました
狂気とはなんぞやと
笑ながら人が殺せるヒト?
狂ったように暴れまくるヒト?
他人には理解出来ない言動や作品を残すこと?
性欲を満たすために人の命を奪うひと?
そんなものの何処にだって狂気はありません
そんなものは我々にとって唯の脅威であって、排除すべき存在。認めてはいけない存在。なのです。
結論から言って僕は「狂気」なんてものは存在しないと思っています。
ま、他人が「これは狂気だ」と言うのなら否定はしませんが。
じゃあ何が狂気だって
この世界の秩序が狂気そのものじゃないですか?
明日朝起きて
会社なり学校へいき
お腹が空いたらお金を払ってご飯を食べる
就職して結婚して子供を産んで育ててまたその子供も大きくなって就職して結婚して子供を産んで育てて
この繰り返しの輪っかに誰も疑問を抱かない。
そこにおかしさは無いのです。
疑問を抱く余地がないのです
何が怖いって、疑問を抱かない事に誰も疑問を抱かない。
それどころか、疑問を抱いて行動を起こした人に狂気を感じてしまってすらいる。
観測された狂気はもうそれは狂気でも何でもない。寧ろ人間的で、自然的で美しい唯の行動でしかないのだ。
だれも自分がおかしいなんて思わない。
そんな当たり前の我々の生活そのものが、一番残酷で一番気持ちの悪い狂気なんじゃないかと。
赤い鳥のいる風景は伝えようとしてるのかなー
全然違うって言われたらごめんなさいというけれど笑
この作品、何が怖いって出てくる人達、皆んな少しずつオカシな事を言っているわけなんですけれど、
そこは果たして我々の住む世界と同じものなのでしょうか?
彼らの秩序の中では何一つ間違っていない、おかしなところも何もない。
それにしたがって生きているという点で我々と何も変わらない生き物なんです。
そういう意味では、不条理でも何でもない、人間劇であると、僕は思いました。
と、かなり詳細に語っちゃってますが、僕は「赤い鳥」の回し者じゃないですからね!お金なんてもらってな、な、ないんだからね!