二年越しの課題、大井川支流・関の沢。昨夏は雨の後で増水傾向の渓にはねつけられ、がっちり削られた(久しぶり)溯行だった。今年の関の沢、取水堰から大無間(山)を目指すという個人的にはかなり壮大な計画、ロングラン。20kg(否、初日はそれ以上~泣ける)の大荷物で瀬を切るT師範はまあいつもの事として、へたれルアーマンでコロナ太り絶賛継続中の自分と、カメラマン兼ライターのO氏には恐れおののく旅になるだろうなあ。その想像こそ想定内。世の常で嫌な予感は得てして当たるものである。
 当初の予定を一週間遅らせ梅雨明けを待ってさらには数日の好天を挟んだ後に入渓。昨年と比べて溯行し易いことこの上なし、あくまでも昨年との比較で!!だけど。日差しに透ける川底に揺れる白い光の模様。「魚を釣る」という目的だけに特化するなら笹濁りを寿ぐべきだろう。もう20年以上(幸いにして)ジン・クリアな渓で竿を出し続けた結果、濁りの入った川での釣りは極端にモチベーションが下がる(本流や湖沼はさにあらず、でも湖は澄んでてほしいなあ)。今日の水色は申し分なし、口元が緩む、にやける。
 いくつかある難所を越えつつ、時間を勘案しつつ竿を出す。腕の間違いない同行者がいると下手故の疑心暗鬼にならずに済むのでまっことありがたい。T師範が流してアタリが無ければ高確率でその筋に魚はいないのだ。よしんば居たとしても自分のテに負える魚ではない。久しぶりの「脈釣り」にさばきが悪く釣りをしているより仕掛けを直している~枝や葉っぱを釣っている~時間の方が長い自分の斜め前方で師範は着々と美魚をあげてゆく。放流を行わなくなって久しいと聞いている関の沢、腕ではなく脚で釣るヘボ釣り師の流すミミズにも美しいアマゴが飛びついてくれる(たぶん)。陽射しの下で輝く朱点、幅広の体躯、ピシッと張ったヒレに精悍この上ない顔つき。写真は来春発売の『渓流・春号』でO氏の快作を眺めていただけたら~後日氏がFBに挙げていた写真を使っていいとおっしゃって下さったので一枚拝借。今回自分では一枚も魚の写真を撮っていない。

 T師範のザックからはご馳走が、さらには液体燃料(笑)が、ざくざくと溢れ出てくる。

ブルーシートの上にころがってコース料理のように次々と提供される美味いアテをアテにウィスキーを舐める。軽量化は大前提ではあるが、ランニング・コスト(量的な)を言い訳に幾ばくかの、時にかなりの量の酒を装備から削ることは(よほど厳しい山行の時~そもそもそんな厳しい山には行かないが)ほとんど滅多にほぼ全く無い。そして道々後悔する。初日の朝も、二日目の朝も。

 平水より若干の減水傾向とはいえやはり浸かりやはり泳ぐ。支沢が滝になって本流に落ちてくる。どの枝も水量豊富、ザーザーと。へつり高巻きまた飛び込む。時々渇きを湧き水で水分補給、T師範の持参しているポカリの粉を次回以降真似をしよう(そして実際翌週の藪山に持参、物凄く助けられる事に)。
 某社の防水ザックを泳ぐかも、の沢では使っている。先頭がロープを曳いて泳いで、あるいは「地獄の黙示録」ばりに浸かって渡りそのロープにザックをくくりつけて曳く場合、師範のザックカバーボート作戦が秀逸。目から鱗。普段からザックカバーには気休め程度の効果しかないなあと、ザック内の防水に腐心していた。当然沢なんで内部の防水は施した上でザックカバー登場。カバーを掛け、カバー面を下にボートのように水面を滑らせつつロープを曳く。浸水ほぼ無し、ちなみにカバーをつけない某社防水ザックは浸水少々。むむむである。もちろん泡立つ荒流じゃあそう上手くはいかないと思うが、そもそもそんな荒流じゃあ荷物など曳けないから良いのである、たぶん。
 二日目も終盤、日暮れが迫りというか日が暮れて、今宵の宿を探す段になって「熊」と遭遇。どうも親小熊のご馳走な夕餉を邪魔してしまったようだ。こちらが3人と見るや脇の斜面に駆け上がった母熊だったが(O氏談、自分は背走というか背落中で目視する余裕なし)、これが独りだったらジビエの付け合わせになっていたのかどうか?大岩を回り込むと親子が楽しみにしていたであろう大きな雄鹿が倒れていた。春までO氏が居た某社の「熊」に関する本もいくつかは読んでいた。そこにもあったが「出会い頭」は双方にとってよろしくないな。単独以外でも熊鈴は要るかも知れないなと。
 平屋プレハブから二階屋くらいの大岩、巨岩帯の隙間に何とか平らを見つけてタープを張る。T師範の源流フルコースを味わいつつウィスキーを舐める。前夜のデジャブ。