命は、一人にたった一つだけ。
福岡の飲酒運転死傷事故から連日ニュースを賑わしている飲酒運転による事故。
先日、交通刑務所に服役している受刑者の方々の手記を読む機会があった。皆、一様に「自分だけは大丈夫」・「今まで捕まったことがない」・「飲酒運転事故はよその出来事」と慢心・過信・無関心の気持ちを持ち続けていた結果の表れからだったと語る。そして、事故を起こしてしまった事実は一生消えることがないということ、自分達が一生背負っていく十字架の重さを彼らは日々感じている。
自分は車の運転が好きだ。お酒も好きだ。しかし、決して飲酒をしたら運転はしない。たった一滴の酒の為に失うものの大きさを知っているからだ。当然のことだ。
我々はいつ何時、加害者または被害者になるか分からない。「自分は大丈夫」と思う人がいたら、その慢心・過信が大きな落し穴なのだということ、その気持ちは何の根拠もないのだということを身にしみてほしい。
命はその人に、たった一つだけ神様が与えてくれた、最高の贈り物だ。自らの命を断つことは言うに及ばず、どんな方法であれ、その人の命を奪い去る権利は誰一人としてないのだ。
我々は命の大切さ、尊さをもっと知るべきだ。