昨日今日と久々に(ほんと2、3カ月ぶりに)、TV番組をいくつか、ちょっとずつだけ観ました。ついさっきまで、“うちくる!?”に津川雅彦が出ていて、バラエティで見るだけならいい人っぽく思えてしまうんだから、テレビばかり観ているとばかになる説はある程度当たっているのかもと思った次第。関東では大阪のヘイト番組を観れないので(みたくはないけれど)、この一見物知りで蘊蓄ありそでもあり表向き寛容っぽくもある老人が、底の浅い保守(笑)であることを知らない人が多いのです。親しい人(お気に入りの愛玩)にとっては悪い人じゃなかったとしても、薄いんですよね。中身(悪い意味で)子供です。
 
 昨夜は、“ご老人”とお呼びしたくなる方をお見かけしました。前半を見逃し、(後編の)後半だけしか観ていませんが、“Eテレ特集 ドナルド・キーンの日本 後編 日本人とは何者なのか”のキーンさん。終戦時アメリカから進駐軍の日本語通訳として来日した方で、かなりの高齢です。でも、しっかりしていらっしゃいます。そして横柄さやふてぶてしさのようなものが全くなくて、穏やかで優しい青年のようなんですょ。
 戦後、(NHKなのでどこか教えてくれませんが、どこかの)新聞連載を持ち、日本で暮らしていた時に体験したこと、そこから導いた思索が興味深いです。
 タクシーに乗った時のエピソードとして話していました。外国人と見ると、「お刺身は食べられないでしょう」と聞いてくる。好きだと答えると、「でも納豆は無理でしょう」。好きだと答えると、運転手は納得いかないような様子。この事からキーンさんは、日本人は特殊性を意識し過ぎであり、それはけっして良いことではないと言っています。全ての日本人をつなぐ同志意識を楽しみたいのかもしれないが、自然にでてくるものが日本らしさなのだと。今現在、刺身を食べるのが日本人だけと思っている人はいないでしょうが、本質的に変わっていませんね。キーンさんは、その日本人の自意識(特殊性を意識)は西洋人に対してだけではなく、中国人に対してもあると言っています。その通りと思います。
 いちおうキーンさんの名は存じておりましたが、誤解していてすいません。ただの日本趣味の外国人かと思っていました。ソバとマツリがスキで~すみたいなのと思っていました。外国人が日本通ぶるのって、日本人が日本人ぶるのと同じように簡単ですけれど、そこへ陥らずしっかりと批判的なんですね。
 熱狂しやすい性質があると仰っています。大きな渦の中にいる人達と一緒を喜ぶ性質があると。キーンさんの愛する日本はそういうものではなく、戦争の熱狂とは無縁なもの。来日以前に英訳本と出会って憧れた源氏物語。その、ゆったりと情緒豊かな世界観。それから、戦時中時局に合わないとして連載中止となっても、空襲警報の中、谷崎潤一郎が書き上げた細雪。
 谷崎潤一郎の形見として受け取った着物の刺繍について語っていました。それには外側から見えない内側に刺繍が為されていて、目に見えにくい部分にあるのが日本の美であり“らしさ”なんだと言っていました。これ、深いですね。中田英寿が日本の伝統工芸を海外にアピールする活動をしていますけれど、私は、なんか浅いなあと感じていました。その理由がわかる気がします。中田英寿がアピールしているのは単に、技術と物なんですね。スノッブってやつです。あとキーンさんは、日記が文学作品となるのが世界でも稀と言っています。たぶん、ブログはなにか違うとおもってらっしゃるんじゃないかなあと思います。谷崎の刺繍と違いますから。ハリウッド映画トゥルーマン・ショーみたいなもんです。
 ご老人は、311後に国籍を取得し、日本で暮らしています。やはり、行儀良く並ぶ被災者の映像を見て、素晴らしいと思ったそうです。ずっと日本で暮らしている者から言わせてもらうと、ただルールをよく守り皆で同じ行動を取る習慣があるだけなんです。そして、ルールをよく守るのは対等な立場または自分が不利な立場に限ってであり、目上の者はどこまでも傍若無人になりえます。各種ハラスメントと異常な自殺者数の一因です。そしてルールが「他者」に対して攻撃的なものであっても皆揃って思考を停止し、よく守ります。そう調教されています。これは、“大きな渦の中にいる人達と一緒を喜ぶ性質”と通じています。
 
 ドナルド・キーンさんは、人文社会系の学問が軽視されること、「普通の国」になろうとしていることを危惧されています。
 
参照:東京新聞:消えゆく「理想の国」:ドナルド・キーンの東京下町日記:特集・連載(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/shitamachi_nikki/list/CK2014070602000120.html