平安祥悦造の赤楽・五代宗入・太郎冠者の写しです。
太郎冠者は家来の筆頭くらいで、後輩に次郎冠者、三郎冠者がいるそうです。
蓮の仏座にのってるようにも見えますし。
付属の説明書によると、宗入は一入の養子で、表千家随流宗佐から「宗」の字を与えられたそうです。五十の半白の祝いに六代原叟宗佐から200個の黒茶碗を依頼され、「近江八景」などの銘がつけられたそうです。これが数茶碗のはじめ、などと解説がありました。
雁金屋に生まれ、尾形光琳・乾山とは従弟で、彼ら琳派が元禄バブルを背景に華麗でしたが、五代吉左衛門(元禄4年)を継いだことからか、飾りを排し「かせ釉」など、初代長次郎回帰の作柄もあったようです。
こちらは玄々斎好の杉棚です。
作者はわかりませんが、天板には杢目模様が。
掛釘というのか袋釘というのか、仕服、柄杓をかけるのを忘れぬように。
天板には総飾りの茶碗以外のせないようで。
そして、水次の時、半出しで蓋は前だそうです。
天板の部分拡大。
雲のようにぼやけている部分の目は、細かくなっています。
側板と地板の杢目はやや広めのうねり。
水次の時は、地板いっぱいまで出す三本柱扱いの、半出し・前どり、だそうです。
中棚は水指の蓋を開ける時に奥にずらし、閉める時に元の手前に。
徳川田安家の蔵整理の折に、薩摩杉の長持を頂戴し、棚に作り替えたとか。
現代では屋久杉は樹齢1000年以上で、それ以下は小杉と呼ばれてるようです。
成長が極めて遅く、年輪が密になり、枝などの影響で複雑な模様にもなる処が見どころだとか。