私が住み働いているのは北九州市小倉北区ですが、会社事務所の前の大通りでよく見かけるトラック、車体には派手なイラストと大音量で若い女性たちを夜のオシゴトに誘(いざな)っています。そして信号を渡ればそこはいわゆる夜の街です。文学的表現を用いれば殷賑(いんしん、活気があるさま)を極めた頃(昭和末期から平成にかけてでしょうか)ほどではないのかもしれないけれど、21時頃には賑わいのピークを見せ細い道の端では黒いスーツに髪を染めた怪しげなお兄ちゃん達がスマホ片手にウロウロ、彼らが私みたいなオッさんの1人歩きを見つけようものなら、向けてくる視線はどこか打算的でズルく鋭く光っています。私たち夫婦が仕事の後にお酒を飲みに行く店もそのエリア内にあったりしますが、働いている人たちは若い人が多く、先ほどのスマホ片手のお兄ちゃんや良く言えばセクシー、悪く言えば下品な出立ちに着飾ったおネエちゃんが沢山います。今世間で人手不足と言われている業界からしてみたらウチの会社で昼間働いてよと言いたくなるでしょうね。この通りを歩くと現代日本の縮図を見ている気になります。

 私が行くことはありませんが、そのセクシーおネエちゃんとお酒を飲んだり喋ったり楽しいことができたりする店もその界隈に沢山あります。私たち夫婦が行く飲み屋も加えてそれらの店々に酒類を売る店(私が買ってるのはオーリックという店です)もあり、私が家で飲んでいる瓶ビールもそのオーリックから配達(と言っても近いので台車で来ます)してもらっています。彼らは私が最初にその店に瓶ビール2ケースの配達をお願いしに行ってのち3回目くらいで私の顔と住所、そして注文品(スーパードライとサッポロラガー)と数量(各1ケース)を覚えてくれたんですが、その仕事の能力は凄いですよね。彼らはおそらくこの界隈の雑多な店とそこで働く人間、注文品を覚えています。きっと他の仕事をしても上手くやるんじゃないかといつも私は思います。

 先日、各局のニュース番組で詳しめに報じられましたが、新宿の夜の街で働くホステスが私と同世代のオッさんに殺められた事件、結婚してくれるって言うから店の開業資金を工面したのに、女性からの別れ話に逆上して…という事のようですが、小倉北区界隈にも似たような話が転がっていそうです。夜の街の本質というか構図は、おネエちゃんに群がる寂しい男達です。彼らとおネエちゃんたちをつなぐのはお金です。ホステスがいる店が供する瓶ビール、私がオーリックから買えば300円程度のものを1000円、イヤ2000円くらい客には支払わせるでしょう。でも男達がそれを受け入れるのはおネエちゃんが笑ってくれるからです。人手不足と物価高で苦しいはずの日本ですが、夜の街には若い人間が屯(たむろ)し、お金が飛び交っています。日本政府はもはや資本主義を捨てて夜の街を規制下に置いた方が良さそうな時代、夜の街は日本が好景気に湧いていた頃に咲いた徒花(あだばな)、そこで着飾っているおネエちゃんたちは花の蜜に集まる蝶にたとえられます。だけど蝶の特徴・生態は夜行性ではなく夜は羽を休める生き物、夜の蝶とは彼女たちの働く場所や働き方が儚いものという意味もあるのかもしれません。