和歌山県串本町で、スペースワンという民間企業がロケットの打ち上げをしたものの数秒で自爆したとのこと、私には単に爆発したようにしか見えませんでした。社長は失敗という言葉は使わないと言いました。なぜならロケットの打ち上げというものは自爆を経て成功するものだから…って、それは先に言っておかないダメじゃないですか、あたかもお祭り気分で見物に集まった人たちは呆然としたとか、私はスペースワン社にはある種の胡散くささを感じますが、いや、これは夢への道程なんだと信じれば良いのでしょうか。これからも国や和歌山県、串本町が支援、つまりお金の援助をするのでしょうか。串本町の職員はロケットの町として若者を呼び寄せたいとか町おこししたいとか言っていましたが、ロケットは爆発を繰り返して成功するとちゃんと聞いているのでしょうか…。私も串本町には遊びに行ったことがありますが、海がものすごく綺麗だったのが印象的で、ロケットなんかなくても人を惹きつける要素はあると思いますけどね。それはともかく、私はロケットの打ち上げよりもJRを国は支援してほしいと思っています。

 3月8日の朝のこと、妻(社長)がその日は出張で朝早くの新幹線で大阪に向かっていたら、新岩国駅を通過中に人が投身自殺、その場で2時間新幹線はストップしました。それにより妻(社長)の大阪での仕事は延期になったのですが、新幹線は車両破損のため広島駅で運行取りやめ、妻(社長)は新大阪駅で暇つぶしに特急料金の払い戻しの列に並びました。ところが広島駅のホームはイライラMAXの乗客でごった返してもそれを整理する駅員はおらず、新大阪駅でも払い戻しの列に割り込んだりするオバハンがいたりしてもほったらかしのカオス、JRは2時間も新幹線を止めておきながら一体何をしているのやら、妻(社長)の話からJRのいろんな現場のダメさが想像されました。

 そして仕事は延期になったものの妻(社長)は大阪でその日の晩は友人と食事の予定、翌日は土曜日だったので私と阪神競馬場(←北九州市小倉の私の自宅から3時間くらい)で合流しました(今回も馬券で大金は得られませんでした)。その翌日の日曜日は神戸三宮あたりで買い物したり飲みに行ったり、金曜日朝に新幹線で辛い体験をした妻(社長)もゴキゲンで帰ろうとした日曜日の晩、またしても新幹線が止まっているとの情報、幸い私たちが新神戸駅に着いた頃から動き始めましたが、この日運行を数時間止めたのは、姫路あたりの架線に絡まったビニールだそうで…。

 私たちの住む日本、宇宙に向けてロケットを飛ばしている場合なのか、考えたくなりませんか?新岩国駅で自殺した人はなぜそんな辛い選択をしなければならないほどの人生をこの日本で送っていたのか、JRの職員は新幹線を2時間止めていた間何をしていたのか、新幹線という屋外を走る乗り物がビニールごときに数時間も止められてしまうのはなぜなのか、それらの問題を解決しうるのは、お金です。お金があれば自殺するのは思い留まれたかもしれませんし、JRが人件費や保守費をケチらないようにすればもう少しマシな対応ができたはずです。駅で線路に飛び込めないようにするホームドアとやらの設置が必要なのではなく、日本社会のあり方を見直すことが自殺者を減らすためには必要です。爆発を繰り返してようやく成功に辿り着くものなのだ!なんてロマンよりも私は今の日本の現実的社会にお金を費やす方ががいいと思うんですよね。私がいつか競馬で大金を得ても、ロケットだけには寄付はしない予定です。