私は20年以上毎週週刊文春(以下文春)を買っていますが、最近は売上も振るわないとか、実際私もちょっとつまらない内容の記事や連載が増えてきたかなと感じています。文春が起死回生のために今回の松本人志(以下松本)の件を取り上げ、果たして文春は完売したという事です。文春としては雑誌の完売が1番の目的でしょうから、これでよいのでしょうがさて今後の文春が刷り部数を増やせるかどうか、そこがポイントです。雑誌というものは一回だけ売れればそれでいいというものではなく、毎号の刷り部数を増やしてかつ売れ残らないようにしなければなりません(ちなみに文春も刷り部数が近年減っているようです)。出版業界の特徴は売れ残りは販売店が返品出来るという点(念のため書けば出版社は返金するという事)、いくら刷るかは出版社の自由ですが売れた数より返品された数が多いなんて事ではダメです。そして雑誌のもう一つの目的は広告を取ることですから、沢山売れる、刷れるという事は大事な訳です。

 今回の件で文春に広告を出そうと考える企業や団体が増えるかどうか、私は増えないと思います。文春が世の中に与える影響の強さは認めても、なんか行き過ぎかもなとためらう雰囲気が出そう、人間は必ずしも正しく強いものを応援しないものです。文春はじめ雑誌というものは反権力であれば応援されても、雑誌自身があまりに権力的になると世間からの支持はどうでしょうか。もちろん松本や所属する吉本興業を支持するわけではなく、普通の企業団体であれば文春と松本のどちらからも離れる、この雰囲気はコロナ騒動を経て日本と日本人に培われ醸成されたと私は思います。現在松本が出演しているTV番組からスポンサーが離れていることがそれを端的に表しています。松本が白か黒かではなく、面倒事からは逃げる、バレなきゃ白だがバレたら黒、これが現代日本人の基本姿勢ですよね。仮に松本が対文春や対被害を訴えた女性に裁判して勝ったとしてももうTVなどメディアは松本を出さない、そもそも松本は裁判はしないと私は見ますが、どうでしょうかね。

 私が最近の文春をつまらないと感じる理由は、松本の件も2015年というネタの古さです。私は今回の件はもう時効だと思います。被害女性いわくジャニーズ問題が明らかになったことで訴え出る勇気を得たと文春に書いてありましたが、ならば松本の一大仕事である、年末のM-1グランプリの前になぜ文春は今回の件を取り上げなかったのか、私はそこに文春の松本への情け、文春自身が松本はそこまで悪くないと分かっているからではないかと思うんですよね。さすがに年末の人気TV番組を混乱させるまでの勇気が文春には無かったと私は見ますし、文春社内でも松本をメディアから抹殺して良いのかどうか、意見が分かれているんじゃないでしょうか。

 そして松本の記事掲載と同じタイミングで、文春は上沼恵美子の連載を始めました。彼女は松本を高く買っていて(かつてM-1で一緒に審査員をしていた)、今回の件は人間として許されないがこれで松本が表舞台から消えるのは嫌だというスタンス、上沼恵美子が文春になんらかの働きかけをするかもしれない、松本の命運は上沼恵美子が握っている、というのは私の見解ですが…ただ記事を読む限り松本のやってきたことは典型的な女性軽視、差別、そして後輩芸人へのパワハラでありよくある政治家なんかの失言より格段に悪質、私は一(いち)お笑い芸人をあまりにも神格化し持ち上げてきた世の中もおかしかったかも、という反省も必要ではないかと思います。