東濃地区への挨拶回り | 龍馬と夢紀行

東濃地区への挨拶回り

今日は岩村観光協会、明智の大正村、可児市観光協会、

そして犬山城という流れで岐阜の東濃地区と愛知県北部への挨拶回り。

さらに岩村歴史資料館、中山道広重美術館で少々お勉強。

 

そんな中、たまたま2か所で話に出てきたのがバス観光の減少という現実。

どうやらこれには「2024年問題」が絡んでいるよう。

4月からドライバーの時間外労働の上限規制と改正改善基準告示が適用され、

流業界において問題視されている「2024年問題」は、

貨物運送事業だけでなく旅客運送事業にも影響を及ぼしていた。

 

バス業界においても、

慢性的な人手不足という現実に直面しているところは、

時間外労働の上限規制などの規制は、明らかに運行便数の減少を生む。

人・モノを運ぶドライバー不足は深刻のようだ。

「2024年問題」は対岸の火事ではないと得心がいきました。

そして、自社でも等閑視できない状況だと認識せねばなりません。

 

さて、過日に古巣の広告代理店の東京本社の同期と話したおり、

数年前に実践女子学園がらみの仕事で、

下田歌子の出身地の岩村町に石碑を建立したことを聞き及びました。

 

観光協会事務局長にそのことを言うと、

岩村町の観光マップを手にして、「おそらくこの石碑だ」と即答。

 

挨拶を終えてから、観光マップを頼りに、

岩村城麓の侍屋敷だと思われる一帯に向かい、

私の同期が建立のお手伝いをしたという石碑と対面。

裏側に刻まれた日時などで、この石碑で間違いないことを確認できました。

ちなみに「父母がその愛児に望むの心をもって生徒に対すべし」は、

現在、実践女子学園の校祖の遺訓の一つになっているそうです、

下田歌子は、安政元年(1854)岩村藩士の長女として岐阜県岩村で誕生。

明治32年(1899)に実践女学校(現実践女子学園)を設立し、

生涯を女子教育の振興にささげました。