「きよす」に想いを馳せる | 龍馬と夢紀行

「きよす」に想いを馳せる

今朝の通勤電車、

名鉄の本線「清洲駅」に差し掛かったところでスピードがダウン。

本線に合流する犬山線における車の無理な踏切進入で、

路線の安全確認のため手間取っているとの車内アナウンスが流れる。

 

ノロノロと少し進んでは停まるの繰り返し、

そんな状況で車窓に目を遣ると家々の屋根の間から清洲城が。

 

無論、この清洲城は織田信長が治めた「東海の巨鎮」と称された城。

当時、清洲というところは尾張の中心都市として栄え、

当時の人口は6万人を数えていたというが、

同時代の京都の15万人には遠く及ばないものの、

それでも当時における清洲は大いに繁栄していたようだ。

 

そして、慶長15年(1601)、

家康が清洲城の城下町をそっくりそのまま名古屋城へと移転させた

「清須越し」で清洲の町はそっくり名古屋に移行してしまい、

往時の清洲の賑わいは失われたようだ。

 

さて、20年ほど前の市町村合併のおり、

公募結果を踏まえて協議会で決定した市名は旧名となる「清須市」に。

実は、この「清須」は清洲の旧名で、

「清洲」と「清須」が混在するような感じが無きにしも非ず。

 

ちなみに、漢字の表記は別にして、

清い川(五条川)の流域に砂洲をもつ土地の意味だそうです。

 

今朝は、電車の遅れで「きよす」に想いを馳せることになりましたが、

帰りは人身事故の発生により、いつも乗車する電車が6両から4両へ。

ラッシュ時の混雑と相まって車内は鮨詰め状態で全く身動きが取れず。

帰路は朝のような気持ちの余裕なし。ただただ我慢するのみと相成りました。