感謝しかありません | 龍馬と夢紀行

感謝しかありません

4月、広告代理店時代の取引先の経営者が亡くなりました。

 

先週末、故人の娘さんから香典返しの品をお送りいただき、

流暢さが窺い知れる添え状が入れられていました。

これで故人との関係性における精神的な区切りを私自身も感じました。

 

若かりし頃の未熟な私に対して、

ビジネス上で金科玉条として守り抜くことをお教えいただいた恩人。

峻厳さが際立つビジネス・パーソンぶりが今でも目に焼き付いていますが、

情もある篤実な人柄ということも決して忘れることはできません。

 

昭和11年(1936)生まれで、今年88歳でした。

 

その方が経営者として関わった会社は、

今では全国津々浦々に店舗を構える知名度ある企業となっていますが、

会社の新店の際に拘泥られていたのが路面店より「八階」への出店。

いうまでもなく「末広がり」の縁起を担いでのことです。

 

そして、奇しくも亡くなられたが「八十八」ということで、

卒然と世を去られましたが、これも一念天に通ずといったところでしょうか。

ここまで拘られるのかと感心させられました。

 

そして20年前に私が起業したときにいわれたのが、

「これからは、何事も割り勘でいこう」と私に気を遣われる発言をされ、

クライアントと広告代理店という関係性の中でも、

食事などを奢らせることなどなかったのに、こんな言葉をいわれたのです。

 

これは文久2年(1862)に坂本龍馬が土佐脱藩のおり、

関所を無事に潜り抜け伊予領に入った瞬間、

「これからは、オラ・オマン(おれ・おまえ)でいこう」と、

身分規範の上下を脱ぎ捨てるように言い交わしたとされる

龍馬の身分下の者への配慮の気持ちと遜色ないように感じます。

 

そうして、在住する関西から名古屋に来られたときを見計らって、

月に一回昼食を共にすることが、氏が病に臥せるまで18年間続きました。

そう考えると色々な薫陶を受けることになったのです。

 

本当に感謝しかありません。ありがとうございました。