真田昌幸の上田城の籠城 | 龍馬と夢紀行

真田昌幸の上田城の籠城

戦国の乱世を巧みに生き抜いた一族といえば、

上田市北東部を本拠地とした地方豪族・真田氏の名も挙がるでしょう。

 

時代の趨勢そのままに主君を変え、

また徳川の大軍を二度にわたり破ったことなどでも名が轟き、

さらには大坂冬の陣における平野口に構築した出城・真田丸での活躍や、

また翌年の大坂夏の陣でも家康本陣を脅かすほど勇猛果敢な奮戦ぶり。

 

さて、そんな真田氏が居城としたのが信州上田城。

この城は天正11年(1583)に真田昌幸が千曲川のほとりに築いた平城で、

既述のように二度にわたる徳川軍の攻撃を凌いだ戦国の名城。

 

この上田城と真田氏にまつわる錦絵を購入しました。

大版2枚続きの歌川豊宣(とよのぶ)画「新撰太閤記 上田籠城」です。

豊宣が手がけた「新選太閤記」は、

題目の通り秀吉を中心とした全50にも及ぶ歴史的名場面が描かれています。

さらに名場面だけではなく格言なども刷り込まれ、

迫力あるデッサン力が臨場感を醸成し。読者を虜にする錦絵シリーズです。

 

今回購入した「新撰太閤記 上田籠城」は、

明治16年(1883)に刊行された錦絵で、

右手一枚には左から真田幸村、真田昌幸、穴山小助、海野六郎が描かれ、

右一枚には上田城に攻め入ろうとする信長や家康の名札が看て取れますが、

史実的には二人が攻め入ったということに関しては無理がありそうです。 

 

ここら辺の事情はわかりませんが、おそらく何かを仮託しているのでしょう。

上田市博物館も同じものを所蔵していますが、そちらの解釈に基づくと、

慶長5年(1600)9月15日の第二次上田合戦で、

軍略の限りを尽くして中山道を進む徳川秀忠軍を翻弄した場面のようです。

 

これから自社の歴史商品に活用していきます。