アップデートに迫られた街
北関東で50万という最も多い人口を誇る栃木県宇都宮市。
広告会社に勤めていた頃、とはいっても25年ほど前の話。
無論、宇都宮は東京本社の管轄エリアに属していましたが、
新規クライアントからの要望で私が営業担当になりました。
河北新報などをはじめとする岩手日報、東奥日報、デーリー東北、
さらには福島民報、福島民友などの東北地方の新聞への出稿に加え、
全国雑誌「女性セブン」などのへの広告出稿なども担当していました。
それゆえ年に2回ほど名古屋から宇都宮へ訪れることに。
今回のG Wに勝手知ったる感覚で宇都宮駅に降り立ちびっくり。
西口のロビンソン百貨店がなくなっていることは知っていましたが、
宇都宮ライトレール(LRT)の鮮やかさが際立っていました。
そして、駅に隣接する広場ではバスケット3×3が賑やかに躍動。
現在、Bリーグの東地区で首位を走る
強豪・宇都宮ブレックスを抱える街であることを実感。
宇都宮駅に降り立って驚かされるものばかり。
図らずも面を食らった格好となった宇都宮の第一歩となりましたが、
かつてのイメージは払拭されアップデートに迫られた次第です。
さて、西口から宇都宮の中心地にあるオリオン通り商店街を横切り、
中央公園内にある栃木県立博物館に向かい挨拶を済ませると、
戊辰戦争で激しい攻城戦が繰り広げられた宇都宮城跡へ。
慶応4年(1868)4月11日、土方歳三は江戸を脱し、
下総鴻の台に集結していた3000人の旧幕府軍諸隊と合流すると、
北関東の要衝であったこの宇都宮城を奪うことになりました。
全軍の指揮は歩兵奉行の大鳥圭介が執りましたが、
土方は先鋒隊と全軍の参謀を兼ねていたといいます。
そして4月19日、
旧幕府軍は宇都宮城の総攻撃を開始し宇都宮城を落城させますが、
22日に安塚の戦いで新政府軍の山国隊が攻撃を開始すると形勢は逆転。
翌23日に宇都宮城を三方から攻めた大山巌が宇都宮城を陥落させます。
こうして宇都宮城はまた新政府軍のものとなり、
またこの戦いで土方は足を負傷今市へ後退を余儀なくされました。
ということで宇都宮のお昼は、宇都宮餃子を鱈腹頂戴しました。