幕末の頃の写真
過日、高杉晋作の写真に高額の鑑定額がついたことを記しました。
その写真を撮影したのが長崎の上野彦馬。
彦馬は文久元年(1861)頃から写真術を研究し、
内田九一から提供された写真機材を使用して撮影に勤しんでいました。
やがて評判を聞きつけた中国人・蘭人が写真を求めるようになり、
当初は無料でその要望に応じていたとされますが、
親族から「身を潰す」と忠告されるに至り、
文久2年(1862)に長崎で写真館を開業することになったといいます。
ちなみにアメリカ人写真家からカメラを入手し、
同年に横浜で写真館を開業したのが伊豆下田生まれの下岡蓮杖。
江戸の鵜飼玉川とともに、この三人が職業写真家の先駆者となります。
当時の彦馬の撮影代金は、一両の半分にあたる2分とされ、
現代の金額に換算すると5万円ほどの値になるでしょうか。
それでも写真館には、一日何十人もの人が撮影に訪れたとされ、
当時の写真は相当な興味喚起の対象であったようです。
さて、そんな中、長崎に滞在する外国人を顧客としていましたが、
やがて日本人にも客層が広がっていくようになり、
坂本龍馬、高杉晋作などをはじめとする志士たちも撮影に訪れ、
冒頭の鑑定番組へ持ち込まれたのもその一枚です。
余談ですが、
博識で知られた松代藩士の佐久間象山は、
文久年間より前の安政の頃すでにカメラを所持していたとされ、
そして自ら写真機を作り、写真の技術も持っていたというから驚き。
それを裏付けるかのように、
京都で河上彦斎らに暗殺されたときも懐中に
京都の写真師堀与兵衛と写真の処方を研究したメモと薬品を持っていて、
また現在もこれらの資料が現存しているとのことです。