小さな池の大きな魚 | 龍馬と夢紀行

小さな池の大きな魚

大変お世話になった旧知の経営者が亡くなったとの報に接した。

昭和11年(1936)生まれで、満を迎えていれば今年88歳の米寿。

 

広告代理店時代の私のクライアントで、

20年前に私が起業してからも関係性を維持していただき、

「歴史業務を始めてみようかと思う」と相談すると、

「趣味を仕事に変換するとはグッドアイデア」と間髪入れずに賛同。

 

そのことが不安要素を抱えていた私の気持ちの後押しになり、

歴史という新規事業の駆動力に繋がったと確信しています。

そして、このことが私が広告代理店から足を洗うことになり、

新規事業としての歴史業務という仕事の二毛作の嚆矢となったのです。

 

さらに「事業領域的には決して大きくはないだろうから」と、

ニッチ市場ゆえに「小さな池の大きな魚になれ」との助言を頂戴しました。

この言葉はHOYAの中興の祖・鈴木哲夫氏が提唱した言葉で、

ご本人が鈴木哲夫氏から直に聞かされた言葉でもありました。

 

そんな授けられた言葉を胸の中に忍ばせながら、

自分にとって未開のビジネス領域で奮闘してきたように思います。

 

さらに消極的・否定的な言葉を嫌われ、

常に積極的な心を持ち合わせてみえる方でした。

 

コロナ禍の期間に、奥様を亡くされ、ご自身も難病に罹り、

大阪のご自宅を売却されて娘さんが住まわれる神奈川に転居し、

老人養護施設での生活を余儀なくされていました。

 

最後の電話となった2年前の遣り取りでは、

「人生で最大の試練」と少し弱気の言葉を口にされていましたが、

「いつかきっと名古屋に行くからな」が最後の言葉となりました。

 

過日、意識が朦朧とされたとの容態の悪化を聞き心配していましたが、

残念ながら昨日永遠の眠りにつかれたと知らされました。

昨日4月17日は奇しくも私の誕生日。やはり何かとご縁があったようです。

 

旧知の経営者は、関西の大学を出られて大手光学機器メーカーに就職し、

累進焦点メガネレンズの発売に際して最前線で活躍されたと聞く。

その実績が認められ各地の営業所長を務めあげられ、

新設されたコンタクト販売会社の中部エリアの社長に就任。

全国にあった拠点の組織統合に伴い常務に昇進されて社業発展に寄与。

 

今ではコンタクト販売会社の最大手となり、

全国的な販売網とともにその知名度は群を抜いている。

 

公私共にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。