驚天動地の覚え | 龍馬と夢紀行

驚天動地の覚え

昨日、福井市の足羽川に架かる幸橋から九十九橋にかけての南詰を散策。

片道わずか500mほどの距離の折り返し地点となる九十九橋の一帯で、

ふと橘曙覧がここで生まれたと思い出し、

一緒に散策をしていた傍らの家内に語りかけました。

 

幕末の頃、この辺りで歌人・国学者の橘曙覧(たちばなあきみ)が生まれ、

大商家の跡取りであったが、その地位を弟に譲り隠棲して国学と歌作に精進。

その歌詠みの才能を認めていた藩主・松平春嶽が再三の仕官要請をしたが、

そのたびに断って市井でひっそり人生を送った。

 

「たのしみは」で始まり、「とき」で止める、

そんな形式の和歌『独楽吟(どくらくぎん)』が有名で、

清貧の中でも楽しみや家族の暖かさを歌で綴ったと。

 

そんな市井の人物が世に知られるようになったのは、

今から30年ほど前にビル・クリントン米大統領が、

天皇皇后両陛下ご訪米の歓迎スピーチで橘曙覧の歌を引用したことが嚆矢。

 

アメリカへ取材同行していた日本人記者たちも、

橘曙覧の名を聞いて、その人物を知らない記者ばかりだったという。

 

そして、これが報道されると、橘曙覧の出身地の福井は大慌て。

忽然とスポットライトが浴びた橘曙覧を顕彰しなければと、

5年後に福井市橘曙覧記念文学館が開館する運びとなりました。

 

有名な句で、私も誦じて口にできる、

「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を、

傍らの家内にその橘曙覧一句を紹介して幸橋に戻り、

南詰から北詰に橋を渡ったすぐ近くにある「北の庄城址資料館」へ。

 

すると私ら二人に気づかれた観光ガイド風の男性が寄ってこられ、

こじんまりとした空間に掲示された観光パネルを指さして、

懇切丁寧に観光に纏わるガイダンスを始められたのです。

 

その話を聞きながら、たまたまそこに橘曙覧の解説もありましたので、

家内に先程の南詰を歩きながら話した人物であると、指をさして目配り。

 

すると観光ガイド風の男性が私の行為に気づいて、

「橘曙覧をご存知ですか?」と問われると、

それまでの結城秀康、柴田勝家、松平春嶽、橋本左内の話もどこへやら。

 

そこから橘曙覧の話のオンパレード。そして、やたら橘曙覧に関して詳しい。

 

それもそのはず、この男性の高祖父が「橘曙覧」であることを示されました。

初めは冗談で話されているのかと思いましたが、

本件について話し込んでいくと揺るがぬ状況を知ることで納得。

 

それにしても10分ほど前に家内に橘曙覧のことを散々話した直後に、

こんな展開が待ち受けているとは露知らず、私は驚天動地させられるのでした。