「近世奇説年表」清河八郎 | 龍馬と夢紀行

「近世奇説年表」清河八郎

昨日のブログで新選組の講座について触れましたので、

それに関係する錦絵を一枚紹介したいと思います。

 

庄内藩郷士で尊攘派志士の清河八郎は、

「旗本を元締めとし、浪士を集め京都の治安にあたらせれば、

江戸には浪士がいなくなり、さらに京都では将軍の警護にもあたらせる」

との献策で、文久2年(1862)2月に浪士組が結成されました。

 

最終的に浪士組の募集に応じたのは230余名と膨れ上がり、

その中には近藤勇をはじめとする試衛館の面々も含まれていました。

 

ところが元々清河八郎は、

献策とは異なり、攘夷の手勢として浪士組を活用させることを画策。

京都に着くと、すぐに御所学習院を通じて、強い攘夷活動への意志を伝え、

攘夷の先兵とするべく浪士組の江戸帰還を主張するのです。

 

要は、清河の献策そのもの本質は、

幕府に浪士を集めさせ、それを自らの兵にしてしまおうという、

まるで幕府を愚弄したような策だったとも取れるわけです。

結果的に、幕府は清河に浪士組を乗っ取られた格好になりました。

 

こうして浪士組に対して東下するようにとの命令が下されるのですが、

これに猛反対した芹沢鴨や近藤勇らは八木邸から前川邸へと移り、

こののちに新選組が結成されていくことになります。

 

さて過日、

馴染みの錦絵専門店で「近世奇説年表」なる錦絵を目にしました。

錦絵専門店の店主の言葉を借りれば、

「月岡芳年が描いた珍しい錦絵」との触れ込み。

清河八郎が豪商に談判して金策をしている内容が描かれています。

 

前述のように浪士組で上洛した直後に東下を命じられますので、

清河が京都の豪商に金策するなど、考えにくい側面がありますが、

錦絵の画題に〝奇説〟が付けられているということもあり、

そのような解釈に基づいてみる必要があるかもしれません。

 

店主から〝珍しい〟などといわれると、

それだけで購入意欲が湧いてしまうのが私の悪い癖。

何はともあれ、こうしてまたコレクションが一枚増えました。