普遍的な価値 | 龍馬と夢紀行

普遍的な価値

過日、甲府に出かけてきましたが、

往路は東側の御殿場から、復路は西側の朝霧高原から富士を眺め、

さらに静岡県から見る表富士、山梨県からの裏富士をも堪能。

かつてサラリーマン時代の東京出張の折に、

「今日は、車窓から富士山を見なかった」などとその程度の認識で、

然程、個人的に興味喚起されるモノはありませんでした。

 

しかし、最近は富士山を眺めることが目的の一つになるほど、

この方面に出かけるときには天候などを気にするようになりました。

変われば変わるものです。

 

悠然とした独立峰としてのその容姿や、

稜線の雄大な美しさから多くの人々を魅了してきたことが、

恥ずかしながら老齢に差し掛かって理解できるようになりました。

 

さて、以前にブログで紹介しましたが、

今回はそのおりに紹介できなかった幕末の偉人の言葉を紹介しましょう。

 

浪士組編成の献策をした尊攘派志士の清河八郎は、

「ふきおろせ 不二の高嶺の大御風 よもの海路のちりを攘はむ」と、

霊峰の富士山から吹きおろす大きな風で、

来航してくる夷人や異国船などを討ち攘いたいものだ。

何とも勇ましいばかりの詠みとなりました。

 

そして、岩倉具視の側近で、王政復古にも参画した玉松操は、

「吹きおろす 高根のあらしさえさえて ふじのすそのに男鹿なくなり」と、

季節は秋から冬に変わり、富士山に吹く風は嵐のようであるが、

そんな中でも男鹿は逞しく鳴いていると詠みました。

 

さらに維新の三傑の一人に数えられる木戸孝允も、

「朝霧の晴れ間はさらに富士の山」と

京都から逃れて出石に潜伏していて、帰国を決意して詠んだ句もあります。

 

幕末だけに留まらず、

戦国時代の武将たちも富士山を崇めて句を認めています。

 

多くの日本人に感銘を与える富士山は、やはり普遍的な価値があるようです。