忍城の水攻め絵図 | 龍馬と夢紀行

忍城の水攻め絵図

忍城は、室町時代にこの地を統一した成田氏が築城したとされ、

それ以降、約100年間に渡り成田氏の居城となりました。

 

天正18年(1590)3月、豊臣秀吉は関東平定のため小田原へ出陣。

当時の忍城主の成田氏長は北条氏に属していたため、

秀吉方の石田三成が軍勢を引き連れ忍城攻略に至ります。

 

そして6月に入り、

沼などで囲まれた「浮き城」と称された天然の要塞・忍城を、

三成は秀吉の指示に従って水攻めを敢行することになります。

 

三成は城の周辺に堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れますが、

大雨による氾濫で堤が決壊し、寄せ手の豊臣勢270余人が溺死に見舞われ、

あえなく三成の水攻めは失敗に終わるのでした。

こうしたことから「戦下手」というレッテルが貼られることになります。

 

その後、忍城は小田原城降伏の後も持ちこたえていましたが、

小田原城に籠城していた城主・成田氏長の命により開城することとなり、

忍城は豊臣軍に引き渡されました。

 

さて、過日に購入した絵図が届きました。

 

掛軸仕立てになっていた絵図だということは認識していましたが、

如何せん目録の小さな画像だけで判断を迫られましたので、

詳しい内容も分からずに滅相で購入することになりました。

 

ただ、「天正年間成田氏忍城之図」との品名から窺えることと、

水色が多く使用されていることからおおよその見当をつけていましたが、

本絵図はまさに三成の水攻めのときの状況を写したものです。

絵図には石田三成や長束正家などの武将の名前も認められます。

 

普段、忍城の水攻めの絵図は見かけませんので、

ある種の幸運に恵まれました感を強くしています。

 

今後は自社商品に活用していきます。