東行、松陰、容堂、松菊 | 龍馬と夢紀行

東行、松陰、容堂、松菊

維新回天の扉を開いた高杉晋作の号は「東行(とうぎょう)」。

 

これは高杉が西行法師に憧れとともに、

「西へ行く人(西行)を慕いて東へ行く我心をば神や知るらん」と、

藩内で自説に同調するものが少なくて孤独だった頃に詠んでいます。

高杉は、これに因んで名乗ることになりました。

 

そして、高杉の師である吉田松陰の「松陰」という号は、

松陰に影響を与えたとされる先駆的な尊王思想家で、

「寛政の三奇人」のひとりに数えられた高山彦九郎の戒名である

「松陰以白居士」から引用したものであるとされています。

 

また、「酔えば勤王、覚めれば佐幕」と揶揄された山内容堂は、

井伊大老に睨まれて安政の大獄で処罰(蟄居)させられ、

周囲の人たちから老公と呼ばれていましたが、

ある大名からこれから少しは人の意見を「聞き容れる」ようにといわれ、

隠居後に自ら「容堂」と号するようになったといいます。

 

昨日、名古屋の中日文化センターで行われた弊社幕末監修者の講座。

その講座で使用されたレジメを頂戴しましたが、

そこに木戸孝允の雅号の謂れが掲載されていました。

 

木戸の雅号「松菊(しょうぎく)」は諸説あるそうですが、

藩校で教えを請うた吉田松陰の志を継ぐべく「松」の一字と、

萩呉服町の藩医・和田昌景の子であったことから、

薬草の「菊」から取って「松菊」としたらしいことが記されていました。

木戸の雅号については初耳でした。

 

このようにそれぞれの雅号などの謂れを求めると、

その人に知悉することができ楽しめそう。

これから少し調べてみて広がりが求められれば、

どこか自社の歴史商品などに活かしてみたいと思っています。

 

ところで、明日は東海地方も雪模様。

そして帰宅時の電車の運休も予想される始末。

きっちりとスタッフの退社時間などのタイミングを見計らねばなりません。