幕末の〝勤王ばあさん〟
過日、東京神田の馴染みの錦絵専門店で購入した
月岡芳年画の大判錦絵「近世人物誌 近衛家の老女村岡」。
老女村岡では一般的にはわかりにくいと思いますが、
大覚寺門跡津崎左京の娘として京都嵯峨に生まれ、
幼少より近衛忠熙に仕えた「村岡局(津崎矩子)」のことです。
村岡は僧月照・西郷隆盛らと交友を持ち尊攘運動に関わると、
安政の条約勅許問題と将軍継嗣問題では朝廷の復権に志士らと周旋。
そのことにより文久3年(1863)に、
攘夷派の志士に肩入れしたとして幕吏に捕らえられたが、
そのときすでに73歳の老女になっていました。
しかし、取り調べ期待しては一切口を割らなかったという
肝が据わった女性で、〝維新の女傑〟と呼称されるほどでした。
維新後、嵯峨直指庵で自適の余生を送り、
晩年は嵯峨庶民の慈母と崇められましたが明治6年(1873)に病没。
そんな村岡が詠んだ一句は、
「年ごとに色はまさりて見ゆるかな 色こそふるにし滝のもみぢ葉」。
年ごとに庭の紅葉はがひときわ色を鮮やかにし夕日に映えて美しい、
ということなのでしょうが、
この歌は、国を憂いて散華した志士のことを思い起こして詠んだもの。
彼女は志士たちに胸を痛めていたのでしょう。
時代に斃れた志士たちも彼女を慕い、
〝勤王ばあさん〟と志士の間では呼ばれていたそうです。