標示で往時を偲ぶ | 龍馬と夢紀行

標示で往時を偲ぶ

名古屋中心部の大通り広小路沿いには、

色々なモニュメントや各種の標示などが設置されています。

 

弊社も広小路沿いのビルに事務所を構えていて、

普段、あまり気にすることもなく素通りしていますが、

今日しげしげと眺めたのは観光案内となる「万治の大火」の標示。

今でこそ名古屋の栄は、名古屋駅前と並ぶ繁華街となっていますが、

江戸時代の頃の栄はというと名古屋城下の町外れという感じのところで、

主に下級武士の屋敷などが振り当てられていた区画でした。

 

そんな町外れの栄が盛り場へと一変した契機が、

実は万治3年(1660)に発生した「万治の大火」なのです。

武家屋敷から出た火の手は強風にあおられ、

武家屋敷や町屋など3000軒近くを焼き尽くす大惨事となりました。

 

この万治の大火を教訓とするべく、

尾張藩はそれまで道幅3間(5.4m)だったものを、

延焼を防ぐための防火帯を設けるために15間(約27m)に拡張しました。

 

こうして生まれた広い通りが「広小路」と名付けられます。

さらに加えて広小路沿いに恒常的な建物の建造を認めなかったことで、

広いスペースを利用した仮設の見世物小屋や芝居小屋などが立ち並び、

庶民の楽しみの場として大いに賑わいをみせることになりました。

こうして町外れだった栄周辺は繁華街へと変貌を遂げることに。

 

そして、この広小路の道幅は現在に至るまで変わっておらず昔のまま。

往時を偲ぶようにしてこんな標示を目視しておりました。