京都 | 龍馬と夢紀行

京都

抱えていた仕事がひと段落したこともあり、

今日は完全オフ日にしてプライベートで京都に出かけてきました。

 

このところ京都へは新幹線で向かっていたのですが、

今日は久しぶりに車を駆って行くことにしましたので、

少し中心部から離れたところを目的としました。

 

まずは桓武天皇ゆかりの「将軍塚青龍殿」。

東山山頂にある「大舞台」から見下ろす京都の光景はまさに絶景。

そして東山を後にして一路洛北へ車を走らせ、

京都・大原に位置する天台宗の寺院「三千院」へ。

よくよく考えてみると20年ほど前の紅葉時期に訪れて以来となりました。

三千院門跡までの静寂な自然の美しさを味わうため、

少し手前の駐車場からトボトボと歩いて向かったのですが、

あちらこちらの残雪が洛北の冬の寒さを物語っていました。

 

その後は、これまた洛北に位置する岩倉具視幽棲旧宅へ。

洛中から追放された岩倉具視が3年間にわたり幽棲した邸宅。

公武合体を唱えて和宮降嫁を画策するなどしたことで、

佐幕とみなされたことで天皇からも遠ざかることとなり、

洛中の寺院から当地に移り住んだ幽棲したのです。

 

よく書籍などで「幽閉」という言葉が聞かれますが、

これは人を一室や獄などに押し籠める処罰的な意味合いですが、

「幽棲」は、自らの意思で俗世間から離れてひっそりと暮らすことです。

 

慶応3年(1867)には、坂本龍馬・中岡慎太郎・大久保利通らが訪問。

この一室で活発な政治活動が繰り広げられました。

ある意味、ここが幕末京都の震源地の一つに挙げられるでしょう。

ガイダンスの方のわかりやすく的確な説明がとても心地よかったです。

 

弊社の監修をお願いしている木村幸比古氏は、

岩倉具視幽棲旧宅内施設の「対岳文庫長」を務められていました。

「対岳」とは岩倉具視の号となります。

 

少し遅めの昼食は、銀閣寺前のいつものここ。

明日は普段通り名古屋で仕事です。