福山で欠かせない賢人
昨日、広島県福山市の中心部の福山城と、
その南方にあたる沼隈半島の鞆の浦について触れました。
そんな関係性も手伝ってのことですが、
今日は敢えて福山市の北方について書いてみることにします。
福山駅からJR福塩線に乗り換えて、
3つ目くらいの駅に神辺(かんなべ)というところがあります。
ここは江戸時代後期の漢詩人・菅茶山(かんちゃざん)の出身地。
菅茶山は農業と酒造業を営む家に生まれ、
やがて上洛して那波魯堂(なわろどう)に朱子学を学び、
郷里に戻って私塾・黄葉夕陽村舎を開き村童の教育に携わります。
この私塾は、のちの郷校「廉塾」になっていきます。
そしてここで塾頭を務めることになるのが頼山陽。
儒学者や漢詩人として有名な頼山陽ですが、
彼が著わした「日本外史」は幕末の尊攘派に大きな影響を与え、
伊藤博文、近藤勇の愛読書であったことでも知られます。
さて、菅茶山の詩文は風格高逸と称せられるほど素晴らしいのですが、
またその生涯を庶民教育にささげた偉人としても著名。
神辺には「廉塾」並びに菅茶山旧宅が現存し、
その近くには「菅茶山記念館」も建てられています。
今日、こうして菅茶山に触れたのは、
過日に馴染みの画廊で「菅茶山」の一幅を買い求めたからです。
「我有万古宅 嵩陽玉女峰 長留一片月 挂在東渓松
茶山老人」
訳文としては、
わたしには古くからの家がある
嵩陽の玉如峰には長く一片の月が浮かび東渓の松にかかっている。
といったところでしょうか。
福山市では欠かすことができない賢人です。