第二次幕長戦の旗指物 | 龍馬と夢紀行

第二次幕長戦の旗指物

禁門の変による第一次幕長戦後、

長州藩はクーデターによって倒幕派が主導権を握ります。

これを見て取った幕府は慶応元年(1865)4月になると、

長州藩に容易ならざる企てがあるとして再征を布達します。

 

そうして長州再征の勅許を得た幕府は、

「10万石減封」と「藩主隠居」の処分案に関して、

回答期限を過ぎた慶応2年(1866)6月7日に、

動員した32藩に対して長州藩への出撃を命じることになりました。

 

この第二次幕長戦は、

大島口・芸州口・石州口・小倉口の四方面で戦闘が行なわれたことから

長州側では「四境(しきょう)戦争」とも読んでいます。

 

周防大島の沿岸に向け、幕府艦隊の砲撃で戦いが始まりましたが、

長州藩の武力に圧倒された幕府は苦戦を強いられ、

さらに大坂にいた将軍・家茂がこの戦いの最中に病死。

 

徳川慶喜は、朝廷に休戦協定を願い出て撤退したことで、

幕府の求心力というか、威信の低下を露呈する結果となりました。

 

そして、勝海舟は慶喜から全権委任されて、

広島に於いて休戦交渉に臨むことになります。

両者の交渉は宮島の大願寺で行われ、

長州藩からは広沢真臣・井上馨ら八名が出席しました。

 

この交渉で海舟の「幕府体制の〝一新〞」という発言に対して、

長州藩は停戦に応じることになり、やがて休戦協定が成立したのです。

こうして第二次幕長戦は9月19日に幕府が撤兵を布告して幕を閉じます。

これが第二次幕長戦の一連の顛末となります。

 

さて、今回はそんな第二次幕長戦にまつわる一筆を購入しました。

珍しい代物であると思うのですが、

第二次幕長戦に参加した幕府側諸藩の旗指物が描かれた掛軸です。

 

装幀のコンディションはよろしくありませんが、

本紙部分の肉筆の発色はとても鮮やかで、金色のノリも色褪せせずくっきり。

そして細部に渡りきっちりとした書き込みがなされていて、

眺めていると150年以上前の第二次幕長戦の趣が感じられる一筆。

これから自社の歴史商品の図版として活用していくことになります。