錦絵「太平記英雄伝」の追加 | 龍馬と夢紀行

錦絵「太平記英雄伝」の追加

以前に紹介した絵師・落合芳幾の錦絵「太平記英勇伝」のシリーズ。

 

この錦絵のシリーズは

寛政9年(1797)から享和2年(1802)にかけて、

読本『絵本太閤記』をベースにした全100点に及ぶ中判揃物。

 

芳幾の師・歌川国芳も太平記英勇伝を手がけていましたが、

師は偽名絵を用いて制作しましたが、

芳幾は師とは異なり本名を用いている点が違います。

 

この芳幾の「太平記英勇伝」シリーズは、

私の仕事にとっては掛け替えのないモノとなっていて、

弊社の歴史商品の図版としてあちらこちらで八面六臂の大活躍をしています。

 

絵師な好みからすれば、

やはり国芳の大判「太平記英勇伝」シリーズで、

個人的に三枚ほど所有していますが、如何せん国芳は少々お高め。

 

コンディションにもよりますが一枚5〜10万程度。

それと比べれば芳幾の「太平記英勇伝」シリーズは少しお値打ち。

ですからコツコツとこのシリーズを蒐集し、

過日のブログで35図(全100図)まで集まったことを書きました。

 

そして縁あって馴染みの錦絵専門店で、

さらに「岩成友通」と「和田惟政」を追加蒐集してきました。

 

少しマイナーな武将となりますので、

簡単ですが下記に略歴を示しておきます。

 

【左】岩成友通・いわなり ともみち(?−1573)

出自は未詳。石成とも書く。はじめ三好長慶・義継父子に仕え、永禄8年(1565)に松永久秀らとともに将軍・足利義輝を殺害。その後に久秀と対立して、三好長逸・三好政康らと三好三人衆と呼ばれた。天正元年(1573)7月、将軍・足利義昭が反信長勢力を結集させて兵を挙げると、これに呼応して織田信長と敵対。居城の山城淀城に拠って奮戦したが、細川藤孝ら信長軍に攻められて敗死した。

 

【右】和田惟政・わだ これまさ(?-1571)

和田宗立の子として生まれる。室町十三代将軍・足利義輝に仕え、義輝横死後はその弟・義昭を庇護して家臣となる。織田信長にも重用され摂津高槻城主となり、伊丹忠親・池田勝正とともに「摂津三守護」の一人に数えられる。永禄十二年(一五六九)、三好三人衆が京都本国寺在陣中の義昭を攻撃すると、これを撃退。元亀二年(一五七一)に池田知正と摂津白井河原に戦って討死した。

 

今後は、自社の歴史商品の図版として活用していきます。