杭瀬川の戦い
昨日、「関ヶ原合戦勝山御陣取之図」を購入してことに触れました。
この「陣取図」は、関ケ原の戦いの前日に家康が美濃赤坂の岡山に配した陣の図です。
慶長5年(1600)9月13日に家康の本隊は清洲を発ち、
14日正午には東軍先鋒部隊が終結する赤坂の岡山に到着しました。
赤坂の岡山という場所は、
大垣城からすると北西約4㎞のところにあり、
中山道の赤坂宿場の南方にある標高51mほどの小高い丘陵地。
家康は、敢えて大垣城を見据えて対峙するかのようなこところに本陣を据えました。
ここに家康の心理作戦があるのかもしれませんが、
得体の知れぬ重要なものが赤坂に入ってことを知り、三成方の西軍に動揺が走ったと言われています。
そこで三成は即座に手を打つことにします。
参謀の島左近に500の兵を預けて、大垣と赤坂の間を流れる杭瀬川に出撃させたのです。
そしてまずは初戦を飾ることで、
味方の動揺を押えるとともに、士気を鼓舞しようと画策したのです。
こうして関ヶ原合戦の前哨戦である杭瀬川の戦いに関していえば、
結果的に三成の思い通り西軍の大勝利となったのです。
今回購入した「関ヶ原合戦勝山御陣取之図」には、
この杭瀬川の戦いの陣図などもきっちりと書き込まれ、
さらに武将たちが進んだ関ケ原へのルートも明記されています。
この「関ヶ原合戦勝山御陣取之図」は、天地左右ともに104センチもある大判。
見応えある内容の「陣取図」に大満足です。