政事総裁職・松平春嶽 | 龍馬と夢紀行

政事総裁職・松平春嶽

福井市立郷土歴史博物館で開催中の「さよなら、江戸幕府」を観覧してきました。

言うまでもなく大政奉還150年の節目を記念して、

福井藩主・松平春嶽の史料や親藩ゆえの展示物を中心として、

大政奉還・王政復古までの流れがわかりやく紹介されていました。

 

北陸地区で初公開となる龍馬暗殺5日前の書簡も展示。

これは当時福井藩だった重臣の中根雪江に差し出された書簡で、

新政府の財政係として由利公正の出仕を再度依頼した文書。

 

「新国家」という言葉を使いながら中根雪江に懇願する内容となっていて、

いかにもというか、龍馬らしさが垣間みることができるもの。

(ちなみに龍馬の書簡は本日10月29日までの期間展示でした。)

 

松平春嶽の関与で龍馬は勝海舟と邂逅するなど、

福井藩との関係は長くて深いものであることは周知の事実であり、

それゆえ本音も見えやすく、龍馬がいかに福井藩を頼りにしていたのかが窺える一書。

 

さて話は変りますが、

文久2年(1862)5月、島津久光は勅使大原重徳に随行し、

幕府に対して慶喜の将軍後見職と松平春嶽の大老をねじ込もうとしましたが、

福井藩は御家門であるため大老は譜代大名が就く役職で相応しくないとされ、

大老が政事総裁職に改称されてことはつとに有名です。

 

今回、その勅書の「御写」、つまりは写しも展示されていました。

私の記憶違いがなければ松平春嶽自身の勅書の写しだったと思いますが、

それをよくみると「一橋刑部卿ヲ後見トシ 越前前中将ヲ大老トシテ」とあり、

慶喜と松平春嶽両名の役職が勅書に明記されていたのです。

こんな勅書が存在していたことを初めて知りました。

 

そして松平春嶽が政事総裁職に就任すると、

政治ブレーンとして重きをなしたのが熊本から招聘された横井小楠です。

直ぐさま横井小楠は「国是七条」を提示して幕藩体制の立て直しに入ります。

 

その「国是七条」の第一条には、「すみやかな将軍上洛を先務とせよ」を掲げました。

これは三代将軍家光のとき以来230年も途絶えていた将軍の上洛を行い、

朝廷尊崇の実を示さなければならないというものでした。

 

このことが結果的に浪士組の結成・上洛となり、

さらに将軍上洛が幕末政治の中心が江戸から京都に移るきっかけにもなっていくのです。

 

そして個人的な事情を少々。

過日に馴染みの古書店で出た幕末の瓦版を購入しようか否か迷っていました。

その瓦版が、今回の「さよなら、江戸幕府」に展示されていました。

まこれによりまたまた大いなる迷いが生じています。