松平容保と高須藩 | 龍馬と夢紀行

松平容保と高須藩

大河ドラマ『八重の桜』で、存在感を存分に発揮している“松平容保”。

八重の兄•覚馬と松平容保は、八重も真っ青な人気ぶりを博していますが、
歴史ファンからも熱い視線が送られていることも見逃せません。

ところで現在の松平容保は、
会津藩主というよりも、むしろ京都守護職という立場で描かれていますが、
“京都守護職”とは、“京都所司代”のような古からの幕府の職制ではなく、
薩摩藩国父•島津久光や朝廷の公武合体派公卿らの工作によって、
幕府がしぶしぶ断行した“文久の改革” における人事改革で新設された職でした。

もう少し付け加えれば、
文久2年(1862)に京都を警護するため京都所司代や京都町奉行の上に設けられた職で、
会津藩主・松平容保に白羽の矢が立ち任命されたわけです。

余談ですが、“白羽の矢が立つ”と云いますが、
多くの中から選び出されるという意味があると同時に、
“犠牲者として”選び出されるということも含まれています。

皆さんもご存知のように、松平容保も京都守護職就任の要請を受け大いに悩み、
「行くも憂し 止まるもつらし 如何にせん 君と父と 思うこころ」と、
あの有名な一言が出ました。

すると元高須藩主の父•松平義建は、
「父の名は よし立てずとも 君がため 勲(いさを)あらわせ 九重のうち」と、
武士としての務めをしっかり果たせとの歌を返すのです。

こんな父子のやり取りを経て、松平容保は、ついに過酷な運命を受け入れる覚悟を決めたのです。

ここまで書いて何なのですが、
今日、二人の国元である高須藩(岐阜県海津市)の歴史資料館へ出掛けてきました。
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かつての高須藩をイメージした立派な造りの建物。

高須藩ゆかりのフロアーに足を運ぶと、早速“松平容保”にお出迎えいただきました。
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機会がありましたら、またこの続きを。